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「あんまり、ジンをいじめてやるなよ。あいつは融通が利かない朴念仁なんだから」
「だが、その気になるのを待ってたら、10年でも足りないだろう?」
「そうかな。時間の問題だよ。陥落寸前だ。あの免疫のない男が、イリスにかかって勝てるもんか」
イリスがにこっと笑った。
「こんなに美女だってわかってたら、みすみすジンに渡さなかったのに」
ジンの足音が近づいてくるのに気がついて、エクルーはわざと言った。
「これはケープのおまけ。魔除けの仕上げだ」
そう言って、イリスにキスすると温室を駆け出して行った。
「あーっ、お前!何してる!」
「じゃね、俺は北半球のパトロールに戻る。ジンも帰っていいよ。サクヤは明日にも目が覚める。感動のシーンでおじゃま虫になりたくないだろ?あの色ボケには、勝手に苦悩させときゃいいんだ」
ハンガーに駆け下りていくエクルーに、ジンが追いついた。
「おい!お前、さっきの・・・」
「気になる?じゃあ、返すよ」
そう言うと、ジンの後頭部をがっとつかんで引き寄せるとキスをした。
「おまっ、お前・・・!」
「言っとくけど、イリスには舌入れてないよ。じゃあね」
ジンが呆然としている間に、エクルーのテトラはハンガーを出て行った。ジンは頭をぼりぼり掻きながら、今日何度目かのため息をついた。
「あいつ、何かヤケになってないか?」
温室に戻ったジンは、イリスの顔をまともに見られなかった。唇に感触が残っている。イリスのくちびるがいつもより赤く見える。
これってもしかして、間接キスってやつなのか?バカ、何考えてるんだ。
「サクヤは心配ないんだろう?俺たちも帰ろう」
「卵」
イリスがぽつん、と言った。
「卵?グラッコの卵のことか?まだ食品庫にあったな。夕飯はオムレツにするか?」
「違う。サクヤの卵だ」
ジンはカプセルに取って返した。
「セバスチャン!サクヤの断層写真撮ったか?」
「ええ。でも特に異常は・・・」
「いいから見せてくれ」
イリスは自分の言葉に切り替えた。
「本当の卵じゃない。身体の一部をちぎり取って作ったような卵だ。でも受精している」
確かに受精卵らしきものが写っている。まだ着床していないようだが。
「生まれるのか?」
「もちろん生まれる」
「父親は・・・?」
イリスが指差した。ジンは動揺した。
「待て。イリス、ちょっと待ってくれ。このことはしばらく内緒にしとこう」
「なぜ?きっと喜ぶぞ」
「まだ無事に生まれるかわからない。サクヤは体調が不安定だし、着床してないし、がっかりさせるだけかもしれない」
イリスはしばらくジンの顔を見つめていたが、ニッと笑った。
「男の都合はどうでもいい。父親が誰だろうと、重要じゃない。大事なのは子供が生まれることだ。スオミが来て、サクヤの子供が生まれれば、サクヤの星の血がつながっていく」
拙い連邦標準語を話しているときと、母国語を話しているときで、別人格のように感じてしまう。イリスの母国語で話すときは、ジンの方が不自由な分、気圧されてしまうのだ。
「我々も早く子供を作ろう。」とイリスが言った。
「今から仕込めば、大崩壊までに多少育つ。乳飲み子を抱いて逃げ回るよりずっといい。」
「しこ・・・仕込む?誰が仕込むんだ?」
イリスはじいっとジンを見つめた。
「イヤなのか?なら仕方ない。グレンに頼んでみる」
「待て。何でグレンなんだ?」
「グレンの母上がそう望んでいるから、説得しやすいだろう」
「グレンが好きなのか?」
「好き・・・いいヤツだと思う。いずれにしろ、あまり選択肢がないと思うが」
イリスはジンの傍に立って、腕に手をかけた。
「私はムトーがいい。助けてくれたし、親切だ。立派な仕事をしている。ムトーならいい父親になれる」
「ちょっと待ってくれ」ジンは後ずさって、壁際に追いつめられてしまった。
「私のこと、嫌いか?」
「待て、ちがう。会ったときから、何てきれいな娘だろうと思ってた。でも年が離れているし、君がなついてくれても、父親かおじさんに対するような気持ちなんだろうと思ってた。イリスに対してそんな気持ちを持っちゃいけない、とずっと自分に言い聞かせていたんだ。今更急にそんなこと言われても・・・」
壁をずずっとすべって座り込んでしまった。動揺してまくし立てたジンは、自分が連邦語をしゃべっているのに気づいていなかった。
「イリスはドクターが好き。ドクターは?」
連邦語で話すと、表情までちがって見える。二重人格なのでは、とさえ思う。
「ドクターはいつもイリスを見ていた。ちがう?イリスのこと嫌い?イリスを欲しくない?」
ジンは観念した。とんだファム・ファタルだ。ジンは両手で目を覆ってイリスの言葉で答えた。
「イリューシュが好きだ。お前が欲しい」
「ホームに帰ろう」
イリスが言った。