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 先に目をそらしたのはキジローだった。先に口を開いたのも。
「すまなかった。3日も無断でうろついてしまって・・・あんたに雇われている身なのに」
「そんなこと!」とサクヤは切り返した。
「そんなこと・・・関係ないじゃない。とにかく、良かった。無事で帰ってきてくれて・・・心配したのよ」
「心配?何の心配だい」
 キジローの声が思いの外冷たいので、サクヤは心臓をぎゅっと掴まれた気がした。
「あなたが・・・万が一、早まったことをしないか心配だったの。こんな事態にあなたを引き込んでしまった責任もあるし」
「責任!責任なんかとってもらおうと思ってないぜ」
 キジローは1歩踏み出して、サクヤの顔を正面から見据えた。サクヤは1歩後ずさってしまった。キジローの心の悲しみがビリビリ伝わって痛いほどだ。

 サクヤは目をそらしたまま、しぼり出すように言った。
「私はあなたを利用してばかりだわ」
「別に利用された覚えはないがな」
 キジローの声には嘲るような響きがあった。
「あなたの娘さんを探したい、という気持を利用してアカデミーのステーションを探してもらった。今度は・・・」
「今度は?今度は何だっていうんだ。俺は利用されたなんて思ってない。そう言っただろう?」
 キジローは次第に声を荒げて詰めより、サクヤをハンガーの壁に追いつめた。
「俺の娘は死んじまった。俺の目の前で!もう、俺を釣る餌はないわけだ。だから今度は?自分を餌に差し出したわけか?」
 サクヤは両手で口を被って、目を見開いた。顔を左右に振りながら、後ずさったが背中が壁にぶつかっただけだった。
 サクヤの顔の両脇に手をついて、覆いかぶさるようにキジローは怒鳴った。
「え、そうなのかい?姫さんよ。この間、俺に抱かれたのは、そういうねらいだったのか、ちくしょう!」
 言い募りながら、キジローは自分でも不思議だった。どうして、こんなに凶暴な気持になるのか。追いつめて、自分は何を聞き出そうというのか。朝目覚めたとき、「エクルーを迎えに行く」というメモを見つけて、なぜあんなにショックだったか、自分でも持て余していた。サクヤの同情を利用したのは、俺の方か?俺のせいで、サクヤにボウズを裏切らせることになったのか?

「ちがう・・・」
 サクヤは両手の中に顔を埋めて、つぶやくように言った。
「ちがうわ。あの晩、あなたはあのまま生きる気力を失いそうにみえた。目を離したら、また嵐の砂漠に消えてしまいそうだった。あなたを失いたくなかった。何とかあなたの支えになりたかったの」
 そのまま、ずるずると壁をすべって顔を被ったまま座り込んでしまった。
「自分の身体があんな風に役に立つとは思っていなかったけど、あなたが安心して眠りに落ちた時、私は女に生まれてよかったって初めて思った。本当よ。ただ、そういうことに慣れてなくて、怖くなってしまった。ドームに戻って、あなたが消えたのをみつけた時、どんなに・・・自分を責めたか。私が・・私が迷ったばっかりに、二度とあなたに会えなかったらどうしようって」
 ここまで言うと、両の指の間から涙がぽろぽろ落ちた。
 キジローはほうーっと深いため息をついて、片ひざを付き、サクヤの肩に手をおいた。サクヤはびくっと身体をこわばらせた。
「悪かった。どなったりして。心配かけたのに、すまなかった」
 そのままサクヤの身体を抱き寄せて、自分の胸にもたせかけた。サクヤは身体を固くしたままだった。
「頼むよ。姫さん。粗末にしないでくれ。自分の気持も、他人の気持も。責任だの利用だの、という言葉で片付けるな。もっと、俺らを信用してくれよ。娘は救えなかったが、もうこの件は俺にとって他人事じゃないんだ。俺だって、アカデミーのプロジェクトをつぶして、この星やあの大きなカエルたちを助けたいと思ってるんだぜ」
 サクヤは静かに聞いていた。
「ジンだって同じ気持のはずだ。たとえ報奨金なんかなくたって、今更投げ出したりしない」

 サクヤがいつまでも重心を預けてこないので、キジローは小さく噴き出した。
「姫さん、あんた・・・何というか処女みたいだなあ」
 サクヤは両手でさっと身体を離して、きっとにらみ返した。まだ少し鼻声で言い返した。
「そうだったわ。つい、この間まで」
 キジローはびっくりして聞き返した。
「この間っていつのことだ?」
 サクヤはハンガーのステップをカンカンと駆け上がりながら、今度はふり返らなかった。キジローは慌てて追いかけた。
「なあ、姫さん、いつのことだって?」
 ハンガーからチューブに入って、温室でようやくキジローはサクヤに追いついて抱き止めた。


 調整室のモニターで、2人の成り行きを見守っていたゲオルグは、セバスチャンに聞いた。
「こういう事態を予測して、ミスター・ナンブの船の到着アナウンスをしなかったのですか?」
「気配りも、執事の重要な仕事だからね」
「私には理解不能です」
「男女の間には予想外の出来事が必要なんだよ」
「しかし、レイディ・サクヤには予想外の出来事などないのでは?」
「相手の行動が読めなくなった、ということは、ミズ・サクヤにとって大事な人間になった、ということなのだよ」
「ますます理解できません」
「がんばりたまえ。私達には考える時間がたくさんあるんだから」
「ひとつだけ、わかったことがあります」
「何だね」
「人間というのは矛盾に満ちた生物なんですね」
「だから愛しいんじゃないか。我々が300年学んでも、あんな不条理は生み出せないだろう」