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 視界はほとんど2mもなかった。時々、一瞬だけ脊梁山脈のえんとつのようなピークが見える。
 キジローも宙港からドームを目指すなら、この山を目印に進むはず。サクヤは山に沿って南下した。
 気温はもうー15℃だ。もし船が不調で船外にいるなら、キジローは歩き続けようとするにちがいない。意識があれば。眠り込んでしまえばお終いだ。
 今ほど自分にエクルーのようなテレパス能力があれば、と願ったことはない。この視界では、倒れたキジローの上を通り過ぎてもわからないかもしれない。指が震えそうになるのを、深呼吸して何とか気を落ち着けた。
 見過ごすはずがない。だってキジローを見つける瞬間が見える。砂の中、足を取られながら歩いているキジローを見つけて、空中でソーサーのシェードを開け、砂の上に飛び降りる。両手を広げて駆け寄って、両腕をキジローの身体に回して・・・。
 そこまで考えて、サクヤは赤くなった。どこまでが予知で、どこからが単なる願望だろう。
 気温はー20℃を下回った。日が落ちて暗くなってきた。砂塵に散乱されて、ライトがまったく役に立たない。でも大丈夫。きっと会える。会える瞬間を信じてる。

 30分後ソーサーから飛び降りたサクヤを、両腕を広げて抱きしめたのはキジローの方だった。
「あんた・・・本物?夢じゃないのか?」
「本物よ。キジローこそ幻じゃないわよね?」
「夢じゃない。またこの髪に触れた・・・」


 キジローがガンとしてカプセルに入るのを拒否したので、バスタブにお湯を張って浸からせた。横にゲオルグが立って見張っていた。
「30分は身体を温めていただきます」
「おフロの中で、これをゆっくり飲んで」とサクヤがバターを落としたホット・ラムのグラスを渡した。
「飲み終わったら、ざっとシャワーを浴びて砂を流して。セッケンは使わないでね。凍傷になってるかもしれないから」
「姫さんも砂まみれじゃないか」
「そうなんだけど・・・」とちらっと隣りのシャワーブースに目を移した。
「大丈夫。のぞいたりしない。このドラム缶に見張られてるから」
 シャワーブースはくもりグラスで、その上間にカーテンまでひいているのにサクヤは落ち着かなかった。キジローの視線を感じる気がして身体が震えてしまう。浮ついている場合じゃないのに。
 深呼吸すると、背をすっと伸ばしてブースを出た。


 小さなダイニングにヒーターを最強にしてかけているので、ムッとして暑いくらいだった。キジローは柔らかいガウンを着せられて、ソファに座るように言われた。
「サーモグラフは正常ね。胸を見せて」
 前と後ろを触診して、皮ふを調べる。指先、ほお、耳たぶ、足の指・・・ていねいに調べて、最後にサクヤがため息をついた。
「大丈夫。どこも凍傷になっていない。呼吸器も内臓も無事」
 そのままキジローの足元にへたり込んで、両手で顔を覆った。
「良かった、無事で。2度と会えないかと思った」
 キジローはサクヤに手を貸して、自分の隣りに座らせた。
「俺もヨットがぶつかって嵐が始まったとき、このまま砂に埋まっちまおうかと思った」
「どうしてそんなこと」
「でも最後にもう一度あんたに会いたいと思って歩き続けることができた」
 そう言うと、キジローはサクヤを抱き寄せてその肩に自分の頭を休めた。
「キリコが死んだ。俺の目の前で」
 耳元で聞こえたキジローの言葉にサクヤは身体を固くした。
「キリコになら殺されてもいい、と思ってた。なのに、キリコは俺に殺してくれ、と言うんだ。苦しいから、もうつらいから、殺して欲しいと訴えるんだ。俺の首を絞めながら」
 サクヤは涙を流しながら、キジローを抱きしめた。
「俺は何もしてやれなかった。もう1人子供が現れて、俺を撃とうとした。キリコは俺をかばって撃たれた。俺は無傷だった。せめて、キリコの身体を抱いてやりたかった。でも俺は見えない力で吊るし上げられて、指1本動かせなかった。キリコの身体は大きな穴が開いたまま、血の1滴も垂らさずに宙を浮いて運ばれていった。エクルーが飛び込んでこなかったら、俺もあのまま殺されていたんだろうな」
「もういいわ。何も言わないで」
「なあ、ヤツらはキリコの遺体をどうする気だろう。解剖するのか?脳を取り出すのか?電極を刺して、反応を調べるのか?」
「キジロー!もうやめて。何も言わないで」
 キジローはサクヤの身体にしがみついた。
「俺をつかまえててくれ。埋る。冷たい砂に埋まってしまう。流されそうだ。重い砂が、俺を連れていく・・・」
「大丈夫。つかまえている。私は温かいでしょう?」
「ああ。あんたは温かい。それにいい匂いだ。柔らかい・・・あんたは生きている」
「あなたも生きている。大丈夫」