p 2


 温室に戻ってみると、サクヤが草地に仰向けに横たわっていた。
「おい!」
「ああ、日向ぼっこしてたの。お日さんの熱って、こんなに気持ちいいものだったのね」
 キジローはほっとため息をついて、サクヤの傍らにひざをついた。
「ほれ、これ飲んで」
「なあに?」
「しょうが入り紅茶。婆ちゃんの直伝だ。寒くて風邪ひきそうな時に効く」
 一口飲んで、サクヤがほうっとため息をついた。
「おいしい。温かい」
「そら見ろ。腹の中まで冷えてるんだ。ゆっくり飲めよ」
 サクヤがくっくっくっと笑った。
「あなた、だんだんエクルーに似てきたわね」
「一緒にしないでくれ。だが、あいつが過保護になる気持ちもわかる。あんたはもうちょっと自分を大切にしろ。あんたが万一倒れたら、この計画は全部頓挫するんだろう?」
「全部終わるまで倒れたりしない」
「終わってから倒れたって困るだろう」
「どうして?」
「どうして、だと?」
「子供たちを取り返して、ペトリの生き物や水をうまく移動できたら、私の役目は終わる。そうしたら、もう休んでいいんでしょう?」
「もちろん休んでいいが、あんたの言うのは何だか・・・」
「私とエクルーはずっと宇宙をさまよって来たの。何だか同じところをぐるぐる回ってるみたい。今度こそ解放されたい」
「解放されたらどうなるんだ?」
「どうなるのかな・・・自由になって空か水に融けてしまえればいいのに」
「あんた・・・死にたいのか?」
 サクヤはきょとんとした顔で、キジローを見た。
「私が存在していることの方が不自然なのよ?」
「エクルーもか?あいつも死んじまった方がいいっていうのか?」
「まさか。あの子は自由になったら、どんな風にでも生きていける。でも私は、今度のことが終わったら、存在し続ける意味がない。意味が見つけられない。昔々、むりやり壊れてしまったあの星のわだかまりが解けたら、私も一緒に消えてしまうんじゃないかと思うの」
「無意味なんかじゃない」
 サクヤは、まだ心を3万年前に残してきたような焦点の合わないぼんやりした顔でキジローを見た。
「俺だけじゃない。ボウズも、ジンも、イリスも、スオミもグレンも、みんな、あんたは要らないっていうのか?もう会えなくていいのか?」
 サクヤは何も答えず、ただキジローを見つめ返していた。キジローはがばっと立ち上がると、
「俺はフリーザーに戻る。あんたは、あと30分はそこにいろ。来ても追い出すからな」
 と言って温室を出て行った。


 夕食後、キジローはバーボンのボトルを持って、エクルーに「1杯つき合え」と言った。
 ハンガーのデッキでちびちびロックを舐めながら、キジローがぼそっと聞いた。
「お前、知ってるのか?姫さんの願望というか、今後の展望というか・・・」
「空に融けてしまいたいってヤツ?うん、知ってる。昔から言ってる。でも、いつまでも解放されない」
「おまえまでそんなこというのか?融けて消えるのが夢?それでいいのか?」
「どっちにしろ、当分そんな事にならないから心配しないでいい」
 エクルーは窓の向こうの大きな三日月を見ながら言った。
「どうしてそう言い切れる?」
「それどころじゃない事が起こるから」
「それどころじゃない?」
「キジローだって知ってるだろ?あの月は壊れてここにドカドカ降ってくる。のん気に水に融けたいなんて言ってられなくなる」
「のん気って、おまえな!」
 キジローが声を荒げた。エクルーは立ち上がりかけたキジローのえり首を下から掴んで、一語一語切るようにきっぱり言った。
「とにかく、当面は、サクヤは融けて消えたりしない」
 まだ納得していない顔をしつつも、キジローは再び腰を落ち着けた。
「これから色んな事が起こる。天災続きで人も死ぬ。あんたはその間サクヤの傍にいて、できるだけ食わして、寝かしつけてやってくれればいいんだ」
「食わして、寝かしつける、か。何だかベビーシッターみたいな言い方だな」
「まさしくベビーシッターだよ。星読みってのは、宿命的に生命力と生活力がないんだ。俺は、サーリャが生まれた時から面倒見て来たんだ。そろそろ誰かに手伝ってもらいたいよ」
 キジローは憮然とした顔で言った。
「好きでやってることじゃないのか」
「いくら好きでも、いつも傍にいられるわけじゃない。今度みたいな事態になれば、俺だって手が回らない」
 キジローはしばらく黙っていたが、思い切って聞いた。
「近頃、おまえがわざとベビーシッターをさぼっているのはそのためか?俺の実習期間というわけか?」
 エクルーはにっと笑った。
「あんたはうまくやってくれてる。サクヤはあんたになついてる。俺は安心して、他の仕事に専念できる」
「安心されても困る」
「いいんだ、それで。キジローの信じる通りにサクヤに接してくれれば。現にあんたが来てから、サクヤは変わった。大分、人間らしくなった。前は・・・何というか植物みたいだった」
 エクルーは自分のグラスを干した。
「きれいな花が、香りで誘う。やわらかな花びらにキスすることもできるけど・・・決して応えてくれない。そんな感じだった。今のサクヤは違うだろう?」
 キジローがぎくっと身体を固くしたので、エクルーはくちびるの片端をにっと上げてイスを立った。
「サクヤは当分、あんたに任せるよ。お休み」
 デッキに1人残されたキジローは、ぼそっとつぶやいた。
「任されても困る」