「俺なんだ」ぽつっとエクルーが言った。
「え?」
「アルが客船を壊す瞬間、止めようとしてアルの意識を大声で揺すぶったのは俺なんだ。一瞬、アルのリミッターがゆるんだ。彼は我に返ってしまった。そのスキに、2000人の断末魔の声が聞こえて・・・。アルは半狂乱で腕に埋め込んであった石をもぎ取った。上腕の筋肉ごと。ひどい出血だった。助かったのは奇跡だ」
 エクルーは両手を顔の前でもみしだいて、身体をがくがくふるわせながら話した。
「それが左腕だったんだな?」
「そうだ。姉が手術した。人工筋肉を3回移植した。でも、回復するのを拒絶するように、どうしても馴染まなくて、今の義腕を着けた。何とか元気になった時には、記憶が飛んでて、知能が退行していた。IQ140あったのに。ひどい発作を何度も起して、舌を噛み切りかけたこともある。そんなひどい目に遭わせたのに・・・俺たちはこんな山の中にあいつを閉じ込めている。アカデミーに渡したくない。石の作用を調べるために、解剖されるに決まってる。生きたまま、脳を取り出されて・・・!」
「おい!」とキジローが肩を掴んだ。
「でも俺たちだって同罪だ!あんなになったアルから、まだ情報を引き出そうとして・・・適当にあやしながら、利用してるんだ!」
「おい、もうやめろ」キジローはエクルーの両肩をつかんで、顔を自分の方に向けさせた。「自分をいじめるな。お前はまちがってない」
「でも・・・」
「いいから聞け。お前は間違ってない。アルは今、幸福だ。何も知らずに操られて、人を殺していた時よりずっといい人生だ。そうだろう?」
「でも・・・」
「お前は間違ってない」キジローは静かな声で繰り返した。

 ほとんど声を出さずに、エクルーは号泣した。その間、キジローは黙って横に座っていた。

 エクルーの肩のふるえが治まった頃、キジローがぼそっと言った。
「おい、ボウズ(マイ・サン)。そろそろシャトルの時間だぜ。行くか?」
「うん、ステーションに戻ろう」
 何となくお互いに気恥ずかしかった。

「10日後にそっちに行く。雇ってくれ、と姉さんに伝えといてくれ」先を歩きながら、キジローが言った。
「決めたのか?7人に会ってからじゃなくていいのか?」
「7人って、アルの言ってた”ドラゴン”なんだろう?それで、お前の姉さんって、その絵の美人なんだろう?一石二鳥じゃないか」

 エクルーはしばらく開いた口がふさがらなかった。改めて絵を広げて確かめた。
「この絵で美人かどうかわかるのか?」
「ダークアイに少し緑が射してんだろう?好みだ」
「そんなこと、どうしてわかる?」
 キジローは初めて振り返った。「あれ、だって絵にそう描いてあっただろう?」
「塗ってないよ、眼の緑までは」
「花をやりたくなるのは、美人に相場が決まってる」
 キジローが涼しい顔をしているので、どこまで本気か量りかねた。
「ドラゴンなんて信じるの?」
「あの子はウソをつけないんだろう?何でもいい、キリコのことを教えてくれるなら」
 この男といると調子が狂う。普通はエクルーが相手の先を読んで、からかったり説得したりする役回りなのだ。いつもと逆だ。まったくやりにくい。

「今日、帰るのか」
「うん、そのつもり。すさんだ所に姉さん1人だからね」
「発つ前に、ちょっと俺の船に寄ってけよ」キジローが誘った。
「で、メシを作れって?わかったよ。あんたには借りがある。ここの市場で買出しして行こうぜ」エクルーはため息混じりに言った。
「借り?何か貸した覚えはないな。何かの間違いじゃないか、ボウズ」キジローがニヤリとした。
 まったくやりにくい。完全に、立場が決まってしまった。
 俺は弱冠31歳の青二才の弟分に甘んじなくてはいけない。俺より2746歳若いヤツの。

「おい、買出しの時間がなくなるぜ」エクルーが逡巡していると、キジローが道の先から呼んだ。
 だが、この男と行動するのは妙に快かった。しばらく付き合ってみるとするか。

「キジロー、言っとくけどね。サクヤはさっきの修道院のシスター・シーリアにそっくりだからね」
 おっとり、のん気で人の調子を狂わせるところが、とエクルーは心の中で付け加えた。
「じゃあ、やっぱり美人じゃないか」キジローは譲らない。
「見てから決めれば?」
「絶対、美人だ」
 キジローは先に立って、スタスタ歩いた。
 こいつをサクヤに会わせて大丈夫だろうか。でも会わせてみたい気もした。うん、これは面白い。

「姉さんに、キジローが美人だって言ってたって伝えとくよ」とエクルーが反撃した。
 キジローがぴたりと足を止めて、振り返った。
「おい、それはやめとけ」
「どうして?」エクルーは涼しい顔でとぼけた。
「だって、怒るかもしれないだろう、あの絵を見てそう言ったなんて・・・」
「そうかな」
 やっと、この男から1本取った。エクルーはキジローをおいて歩き出した。
「ダーク・アイに緑が入ってるのが、好みだって伝えとく」
「おい、だから、それはやめとけって」

 キジローをサクヤに会わせるのが楽しみだ。ひげを剃って、表情に険しさの取れたキジローは、サーリャを塔にかくまってた次男坊に似ていた。サーリャの初恋の相手のはずだ。

「キジロー、イドラに来る時は無精ひげ、生やしておけよ」唐突にエクルーが言った。
「へ、なぜだ?」
「荒れた場所だから、ひげの無い男は女役させられるぜ」
「まあ、いいが。剃れと言ったり、生やせと言ったり」キジローがぼやいた。

 この男を仲間に誘ったことで、運命が大きく変わる予感がした。
 こいつは大きなカードだ。凶と出るか、吉に転ぶか。
 でも、もうこの男が気に入ってしまった。一緒に転がしてみよう。運命の車輪を。