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 その頃の俺ときたら、サクヤに夢中ですっかり浮かれてしまっていた。もうない星のことも、俺たちがちょっと特殊な能力を持っていることも、時の流れからはずれていることも忘れて、このまま幸せになれると信じていた。そう、このまま時間が止まってしまったとしても、12歳の外見ならひとところに2年といられないが、18歳なら10年、もしかしたら20年住んでいられる。都会の雑踏に紛れてしまえば、50年だって平気かもしれない。

 24歳と18歳なら、今の戸籍で問題なく結婚できるよな・・・そんなことまで考えた。
 サクヤと結婚。それはひどく自然なことに思えたのだ。俺たちは運命共同体だし、俺はサクヤが好きだし、きっとサクヤだって俺のこと・・・。あと3年待って俺が成人になったら、プロポーズしよう。その頃までに生活の基盤・・・住む場所や収入の糧なんかを整えたらいい。そして子供・・・俺たちでも子供はできるだろうか。子供はちゃんと成長するんだろうか。
 俺やサクヤの両親は、俺たちに星の記憶を渡して散っていった。俺たちもそうなるのか?親たちは普通に年を取っていたようにみえた。何が違うんだろう。でも・・・子供がいたら、楽しいだろうな。

 そんな妄想に夢中になって、まるで新婚夫婦のように浮かれた気持ちで、ブエノスアイレスでの生活を楽しんでいた。誰も自分たちを知っている人がいない異国での開放感もあっただろう。サクヤでさえ、11、12に間違えられるのだ。俺との年の差なんか、ここでは問題にならない。

 問題があるとしたら・・・サクヤが俺のことを好きになってくれるかどうか。
 これまでのざっと3000年の月日を振り返っても、ブエノスアイレスの最初の2週間くらい熱心に、サクヤを口説いた時期はない。
 サクヤは今も昔も同じで、まるっきり無抵抗に俺のされるがままになっている。浅く息をしながら、静かにぐったりと身を横たえている。声も漏らさない。でも絶対に自分から積極的に、俺を受け入れようとはしない。一度でいいから、あの細い腕を俺の首に回してくれたら。
 俺が何をささやいても、何を聞いても、肯定も否定もしない。黙って、生け贄か何かのように目を閉じて震えている。

 俺はどうしても”ええ”と言わせたかった。

 それで、どうしてもサクヤを自分のものにすることができなかった。今考えれば、もう少し俺が強引になるかズルく懇願すればして、どうにかしてしまえばよかったのだ。そうすれば、サクヤだってもう少し、幸せになれたかもしれないのに。

 3万年立ってもまだ彼女が司祭の娘で、自分から男を受け入れるわけにいかないなんて、俺にわかるわけないだろう?そして、きっと俺も今でも司祭に仕える神官の気持ちで、司祭をむりやり破瓜する勇気が出ないなんて。そんな大昔の立場に縛られて、気持ちが自由になれないなんて、わかるわけないじゃないか。

 昼間は、2人とも夜のことはふれようとしない。何事もなかったような顔をして、すましている。サクヤがベッドに入ったら、それが合図。
 寝た振りなのはわかっている。でも絶対に目を開けようとしない。何も言おうとしない。俺の求愛など預かり知らぬ振りをしている。

”いつまでそうしているつもりだ”
 俺は肩をつかんで、ゆすってやりたくなった。
”いつまで死んだ振りを続けるつもりだ”
 サクヤはただ、目を閉じて小さく身体を震わせている。体温が上がって頬を染めているくせに。のどをそらせて喘いでいるくせに。

 その時はまだ若かったから、俺だからダメなんだということ以外、サクヤが受け入れてくれない理由を思いつかなかった。どうしてもそこをはっきりさせたくて、その夜、少し深追いしすぎた。

 サクヤは目こそ開かなかったものの、両手で顔を隠してしまった。俺から顔をそむけたまま、声ももらさず、身体を震わせている。枕が、手首が、涙で濡れていた。
 いじめたかったわけじゃない。泣かせたかったわけじゃない。

 泣きたいのは俺の方だ。あきらめるしかなかった。
 それで、また何食わぬ顔で、家族ごっこを続行して、様子を見ていた。そうして、俺はようやく、サクヤがひとりで何を見ていたか知ったのだ。


 その夕方、サクヤがアパートのソファでうたた寝をしていた。
この頃サクヤは、昼夜問わず眠気を訴えるようになっていて、実際よくソファで寝ていた。おそらくもう、シアトルにいた頃から兆候が出ていたのだろう。でも、俺は疲れが出たんだろう、くらいに考えて、その眠気が異常だなんて夢にも思わなかった。だから俺は、サクヤが寝ているとチャンスとばかりにキスしたり、じゃれついたりして楽しんでいた。そしてサクヤも、目覚めて俺の顔を見つけると、いつもホッとしたような微笑を浮かべたものだった。

 俺は台所で買い物の成果を広げていた。
「きれいなパプリカとエシャロットがあったんだ。それから白身の魚。これでトマト・スープを作ろう。昨日、仕込んだマリネが食べ頃だから・・・」
 反応がないので居間をのぞくと、サクヤがソファに横になっている。数分前、ドアを開けて、荷物で両手がふさがった俺を迎え入れたくせに、えらく急に深く眠りこんだものだ。 

   そっとソファに近寄ると、サクヤはうたた寝というにはあまりにも異様な姿勢で横たわっていた。仰向けに身体を棒のようにのばして、足は45度にまっすぐ開いて、両腕は曲げて肩のところでこぶしを握っている。両のこぶしも、足も、首筋も、緊張でびくっびくっと震えている。閉じたまぶたの裏で、眼球が激しく動いているのがわかった。ソファから浮くぐらい身体がゆれるのに、手と足の位置は動かない。まるで縛り付けられているように。

 顔を近づけて呼んでみた。
「サクヤ、それは夢だ。帰ってこい」
 まるでエクソシストの映画に出てきた、悪霊付きの少女のようだ。俺は恐ろしくなってきた。
「サクヤ、サクヤ。目を覚ますんだ。それは夢だ。君は安全にブエノスアイレスにいる。思い出すんだ」
 手をつかんだ途端、俺はまっ逆さまに落下した。

 ・・・サクヤの夢の中に。