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 底冷えするうす暗い空間。高い天井につづく壁のあちこちにオレンジ色の灯りがあるのに、その明るさは搭の半地下の玄室に届かない。まるで墓の中に閉じ込められたような、冷たく孤独な空間だ。そして実際、ここは墓なのだ。星読みの司は、この搭に入ると死ぬ。神を受け入れて再生しなければこの搭から出られない。

 抵抗したいが対抗できない。冷たい台に薄い死装束で横たえさせられ、手足を縛られる。それだけでも叫び出したくなるほど怖ろしいのに、目隠しされた。手を縛ったのは、先輩の司。足を縛ったのは同級の友人。そして目隠ししたのは私の母だ。では、猿ぐつわをかませたのは誰?姉さん?叔母様?
 誰か教えて。神を迎え入れるってどういうこと?ここで何が起こるの?こんなに怖ろしいのに、どうして母さんも姉さんも助けてくれないの?

 長い時間、冷たい搭の底で震えていた。まるで、生け贄の子羊のように。もう側に誰もいない。暗いのは目隠しのせい?それとも、もう搭の中は真っ暗なの?

 扉の音がした。
 足音。怯えた匂い。誰だろう。こんなおどおどした人が神なわけない。すぐ側に来てわかった。この人、男だわ!
 その男はきょろきょろしているのがわかった。やがて、覚悟を決めたように私の両足をつかむとのしかかって来た。重い。臭い。こんなのイヤ。触らないで。あっちへ行って。これが神なら再生なんか望まない。私は神に殺される・・・


   激しい目眩と共に、夢から覚める。なのに私はまだ搭の底にいる。白い装束をつけた自分の娘に目隠しをするために。
 自分があれほど苦しんだのに、なぜ娘を同じ運命に追い込むのだろう。これは復讐?なぜ星読みの司は生け贄になり続けなくてはいけないの?私たちの神は本当にこんなことを喜ぶのだろうか?

 なす術もなく、私は娘を闇の底に置き去りにして搭を出る。この娘も、お腹の中の子も、神の娘だ。でも私はその神の顔も声も知らない。あの冷たい汗じみた手と、べたべたした身体しか知らない。ゆがんだうめき声しか知らない。私だってそんな神の種を受けて生まれたのだ。そんな神なんか愛せない。娘だって汚らわしい。こんな星読みの託宣で右往左往するこの星の人々の、何と愚かでおぞましいことだろう。
   こんな星、早く砕けてしまえばいいのだ。
 みな粉々になって、宇宙に投げ出され、何の声も動きも無くなったら、どんなに清清しいことだろう。
 みんな死んでしまえばいい。何もかも無くなってしまえばいい。
 死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね・・・



 サクヤが俺の腕の中で悲鳴を上げた。
「大丈夫。夢だ。お袋さんの夢だ。全部、終わったことだ。もう昔のこと」
「ああ・・・」
 サクヤはがたがた震えながら、俺にしがみついた。汗も涙も区別がつかない。支える俺も、まだ目眩がして身体が震えていた。
「大丈夫。もう、大丈夫だ。ゆっくり呼吸して。ほら、さっき折って来たローズマリー。この香りをかいで。ゆっくり吸い込んでごらん」

 ドアがダンダンダン、と叩かれた。
「悲鳴が聞こえたぞ。どうかしたのか」
 隣のロドリゲスがのぞきに来た。
「ああ、大丈夫。クッションの下からムカデが出てきて、サクヤがちょっと目を回したんだ」
 ロドリゲスがにやりとした。
「ケベックにはムカデがいないんだろ?あんたも顔が白いぜ?」
「ああ・・・ちょっとでかかったんで・・・」
「3号室の中国人がいい値で買ってくれるらしいぜ。本当にそんなにでかかったんなら」
「残念。新聞に丸めてダスターシュートに投げ込んじまった」
「そりゃ、もったいない。次はコーヒー缶にでも捕まえろよ」

 親切なロドリゲスが帰った後も、サクヤが落ち着くまでにかなり時間がかかった。エクルーが温かいカモミール・ティーのカップを差し出しても、熱に浮かされたように震えて、自分でカップを支えることができなかった。
「終わってない・・・」
「え?」
「終わってないの。まだ星は泣いている。私、ミギワに頼まれたのに。子供たちを頼むって言われたのに。最後の星読みの司として、役割を果たせって言われたのに」
「ちゃんとやったじゃないか!サーリャはがんばってた。食べるものも食べないで、他の子の面倒を見てた。そのせいで弱って死んでしまったんだぞ。あれ以上、どうしろっていうんだ!」
「でも、まだ泣いてる・・・子供が泣いてる・・・星が苦しんでる・・・」
「君も子供だったじゃないか!いくら星読みの司でも、サーリャだって守られる権利があるぞ!」
「ミギワが子供たちを心配してる・・・」
「ミギワが心配してたのは君だ!ミギワがいなくても、君が生きる気力を失わないように、星読みの使命で君をやさしくしばっただけだ。死ぬほどの重荷を課すわけがないじゃないか。思い出せ。ミギワはそんなことを言うヤツか?死んでしまった君を責めるようなヤツか?」
「・・・ううん」
 サクヤがやっと俺の目を見た。
「でもまだ心配してる。まだ泣いてる子供がいる。まだ母様が苦しんでる」
 俺はカッとした。
「あんなひどいお袋さん、忘れちまえ!」
「まだ・・・苦しんでいる・・・」両の目から涙をぽろぽろこぼしながらそう言うので、俺は目眩がした。

 俺は顔を寄せるとささやくように言った。
「サクヤに言いたいことがある」
「何?」
「今じゃない。サクヤがもうない星の夢から覚めて、その時、まだ俺が隣にいたら聞いてくれ」
「夢から覚めたら?」
「夢から覚めたら。だから、今は眠れ。今だけ、もうない星のことを忘れて眠れ。ずっと側にいるから」
 サクヤは今はまっすぐに俺の目をのぞき込んでいる。
「・・・ずっと・・・側に・・・いて・・・」

   俺の腕にしがみついていたサクヤの手の力が抜けて、力尽きたように眠りに落ちた。今度は寝息を小さく立てていた。
 ひどかったのはお袋さんじゃない。
 非道だったのは星の運命。追い込まれた星の人々の末路だ。そして巻き添えになったすべての生命。

 あれからどれだけ経ったんだ?
 3万年?
 もう、解放されて忘れてもいいじゃないか。
 サクヤも俺も、帰る場所さえない。人並みに成長しない身体を抱えて、生きていくだけで精一杯だというのに。どことは知れないところで、泣いている子供を捜しに行くのか?そうしてどうする?そうやって、泣いてる子供をなだめて回れば、もうない星の亡霊が泣き止むとでもいうのか?

 何もかも忘れて、俺と幸せになろう。
 そういっても、忘れないんだろうな。
 俺はサクヤの寝顔を見ながら、ため息をついた。そういえば、サーリャも頑固だった。

 仕方ない。つき合おう。サクヤの気が済むまで。
 ”ずっと側にいて”というサクヤの言葉が無期限有効なことを願いながら。


 俺たちの長い旅・・・もうない星のもつれた夢を解く旅は、こんな風にして始った。
 そして、俺はというと、ハネムーンの夢は露と消え、過保護な保父さんとしてサクヤを甘やかす生活を送るようになった。サクヤが過去と未来の夢に引き裂かれないように。
 ・・・まあ、そのこと自体は別に不満はない。俺は何でもいいんだ、サクヤの側にいられるのなら。