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 ライブ初日。
 俺よりよっぽど緊張した顔の平太が言った。
「銀、お前、本番に強い方か?人前で上がったりしないか?」
「わからないけど平気みたいだ」
 英語圏でのライブだから、俺は司会と進行をしなければならない。でも、そんなのどうにでもなる。俺にとってはサラが来るかどうかが、最大の関心事なのだ。何せ、唯一の記憶なのだ。

 ステージからずっとサラを探していた。歌もトークも、サラひとりに聞かせるつもりなら上がったりしない。

 3日前に、ノートくらいの大きさのモノクロ・ポスターをレコード・ショップやプレイガイドに100枚ほど貼っただけなのに、ライブ・ハウスは満員だった。もともと人気のあるハコなのだろうが、それにしてもトビーがよっぽどうまくプロモーションしてくれたのだろう。
 用意したアンコール曲を5曲全部演奏した上、もう一度”オンリー・ワン”を歌っても拍手がやまなかった。
「すげえ。日本でもこれほど手ごたえあったことないよな」
 徹が感動してつぶやいた。


 次の日は、さらに客が増えた。そして、最終日にはテーブルを除けても人が入りきらず、ドアのところでちょっとした騒動が起きた。
 メンバーは興奮気味だったが、俺は気分が沈んでいた。サラが来てない。今日が最後のチャンスなのに。もう2度と会えないんだろうか。明るい歌はヤケクソで歌える。でもブルースやバラードは堪えた。特にラストの”オンリー・ワン”は。



       君はいつも歩くとき   妙にぴんと背筋をのばす 
       君はいつも話すとき   妙につんとハキハキしゃべる

       強いからだと思ってた
       強いフリだと知らなかった

       甘えた俺を許してくれ
       甘えて君の手を振り払った



       オンリー・ワン 君に会いたい
       オンリー・ワン 君を捕まえたい
       オンリー・ワン 俺を見つけてくれ

       今度こそ 放さないから




 英訳した歌詞と、日本語と交互に歌った。本当に平太は、この曲を3年前に作ったんだろうか。あてつけのように、今の俺にぴったりの歌じゃないか。ラッシュアワーの地下鉄並みに人がつまっていたが、俺にはわかっていた。ここにはサラがいない。俺は甘えて彼女の手を放した。もう捕まえられない。


 アンコールの拍手の中、平太が前に出てきてぺこっとお辞儀をした。そして俺にぼそっと(訳せ)と言った。
”ここでリーダーのヘータ・コバヤシからあいさつさせていただきます”と俺は言って、平太の言葉を待った。

「こんばんは。今夜は来てくれてありがとう」そこで区切って、俺が訳すのを待つ。
「本国の日本でも、ほとんど無名な俺たちが、この国でこんなに温かく迎えてもらえるなんて、本当に感激です」
「今日のチャンスを与えてくれたトビーにも御礼を言いたい」
 ステージ脇で、トビーがグラスを上げて”マイ・プレジャー”と叫んだので、どっと笑いが起こった。

”そして、銀にもお礼を言いたい”
 急に平太が俺の名を出したので、あっけに取られてどう訳していいか一瞬わからなくなった。
(訳せ。ほら、ちゃんと)
 せっつかれて、何とか英語にした。
「初めてのアメリカでの仕事だったのに、シアトルについた途端、マネージャーとシンセ担当のヴォーカルが逃げ出した」
「駆け落ちだ」
 また、どっと笑いが起こる。
「俺たちには通訳とヴォーカルとシンセが必要だった」
「そして、おあつらえ向きにこいつを拾った」
 また笑いが起こる。
「でも、こいつは本当はやらなきゃいけないことがあるんだ」
「こいつは、女の子を探してるんだ」
「探してくれ。今夜、ここに来ているはずだ」
 ざわめきが起きた。客がお互いにきょろきょろしている。
「腰までの黒髪の、身長175cmくらいのサラという子だ。こいつのオンリー・ワンだ。見つけてくれ!」


「いたぞ!」
「今、正面ドアを出てった!」
「キャブで西に行ったわ!」
「追いかけろ!」
「行け!」「早く!」
「グッド・ラック!」「がんばってね!」
 平太が俺の肩を叩いた。俺はマイクを平太に返した。

 混み合ったライブ・ハウスが、紅海のように2つに分かれて道ができた。
 俺は歓声と拍手と口笛に送られて走った。



 土曜の夜の渋滞に捕まって、彼女の乗ったキャブはなかなか進まなかった。でも走って追いつけるほどのろくはなかった。もう少し、と思うと走り出す。見失ったかと思うと、また捕まっている。俺は汗だくになった。昔はもっと軽々と、いくらでも走れたはずなのに。もどかしい。でも、あきらめるわけにはいかない。

 10キロばかり追いかけたろうか。汗が目に入ってよく見えない。いや、見えないのは貧血のせいか、酸欠のせいか。でも、とにかくふらつきながら走り続けた。
 キャブが右にウィンカーを出して路肩に寄ると、客を下ろした。

 彼女は、こっちを向いて立っていた。ちょっと怯えた顔をして。
 俺が息をぜえぜえ言わせながら近づくと、小さな声でぽつんと言った。
「バカね。そんなになるまで走って。あなたは飛べるのよ、エクルー。忘れたの?」
 俺はにやっと笑って答えた。
「こんな街中で飛んだら、サクヤに説教くらうから」
 それから俺は両腕でがばっとサクヤを抱き寄せた。
「やっと捕まえた」
 ほら、やっぱりサクヤの目が俺のあごのところにくる。「もう逃がさない」



 俺が出て行った後のライブ・ハウスでは、もう一騒動あったらしい。

 まだ、ざわざわ落ち着かない客たちの前に、ステージの下手から2人の人間がマイクを持って現れると、英語でしゃべり出した。
「すみません。その、逃げたマネージャーです」
「逃げたシンセ担当のヴォーカルです」
 ざわめきが大きくなった。
「今日、正式に彼女の親に許しをもらえました。私たち結婚します」
 拍手と、ひゅーひゅーいう口笛。
「というわけで、駆け落ちは終わりです」
「これからでも、また仲間に入れてもらえないでしょうか」
「本当に迷惑をかけた。どんなに謝っても足りない」
「だから、言葉を重ねる代わりに誓います。何人子供ができてぶくぶくに太っても、あなた方の方から断られない限り、現役を続けます」
「俺は、多分、いや確実にプロダクションをクビになる。だからえりか専用のマネージャー兼ハウスハズバンドになって、全面的にこのバンドのバックアップをする。誓うよ」
 また拍手と口笛と囃す声。
「くそっ、ズルい手を使うな。えりか、この2週間でなまっていないだろうな。このままじゃ、客が治まらないぞ。アンコールの途中で、メイン・ヴォーカルに逃げられたんだからな。何、歌う?」


 その日の騒ぎは、タブロイド新聞の芸能欄でそれなりのスペースを取ってとり上げられた。
”リアルかフェイクか?ライブ・ハウスのドラマ”
”シンガーに2回も逃げられた日本のバンド”
”消えたナゾのピンチ・ヒッター:ギンタロウ”

 いい宣伝になったようだ。その後、俺とサクヤの逃亡先の国で、できあがったアルバムを手に入れた。ジャケット写真の中で、俺だけ背を向けていたけれど、サクヤは気に入って「あなたが一番かっこいいわよ」と言ってくれた。
「このくるくる波打つ、長い銀の髪が好き。声も素敵」
「いいよ、ムリにほめなくて」
「本当よ」
 俺がいない時に、よくこっそり聞いていたみたいだ。だから、結局バイト代はもらえなかったけれど、いい仕事だったと思うことにしている。

 どうして、サクヤと離れた途端に、止まっていた6年分の時間が一晩で流れたんだろう。2人であれこれ推測してみたが、結論は出なかった。誰かに聞くわけにもいかないし、とにかくこのままサクヤの傍にいる限り、2人、同じ時間の中に暮らせるなら、別に問題ない。今までは、俺が育ち盛りの子供なのに成長しないのが不自然で、ひとところに半年しか住めなかったが、もう成人に見えるからそういう苦労もしなくてすむ。
 何よりも、サクヤの背を越したという事実が気に入っている。これまでは、姉弟か、悪くすれば親子と呼ばれていた。でも、今なら、恋人にみえるだろう?

 めでたし、めでたし。