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 その未明の夢も青い水の中だった。
 明るく澄んだ水の中を、飛ぶように泳いでいる。裸の身体の表面をすべっていく水の感触が気持ちよい。今日は水槽じゃない。どこまでも続く青い空間。生命に満ちあふれた海の中だった。

 泳ぎながら、サクヤは自分が一人でないことに気がついていた。すぐ後ろにぴったりとついてくる影がある。
 またイルカかしら。

 少しスピードを落としてふり返った。すぐ斜め後ろを泳いでいる明るい人影は・・・・・・エクルーだった。
 驚いて、肺の中の空気を逃がしてしまった。水面まで遠い。軽いパニックに襲われた。サクヤの腕をつかんで、エクルーが落ち着くように目で合図した。肺がやけつく・・・エクルーが背中に腕をまわして抱き寄せると、サクヤののどに空気を送りこんだ。
・・・空気がこんなに甘いなんて。
 サクヤは目を閉じて、エクルーにしがみついて、貪欲に空気を吸い込んだ。身体中の血液に酸素が行き渡って、肺のけいれんが治って、ようやくサクヤは、自分がエクルーの首に両腕を回してくちびるにキスしていることに気がついた。

 我に返っておずおずと顔を離す。エクルーはまっすぐに自分を見つめている。その明るい瞳から目がそらせない。お互いに見つめあったまま、腕をからませたまま、2人はゆっくりとドロップオフの深みに沈んでいった。

 桜の花びらのような水色のスズメダイが無数に集まって、2人を取り囲んだ。足や胸や、お互いにからめた腕を、花ふぶきのようにかすめて乱舞する。群れ全体がひとつの生き物のように固まりになって、2人を包んだと思うとぱっと離れて輪になり、またぱっと2人の身体の間をすり抜けて泳ぐ。・・・でも、2人はお互いの瞳から目をそらすことができない。


 まだ夢の余韻に浸ったまま、サクヤが目を覚ますとすぐ横に銀色の頭があった。寝袋に押されたせいでボサボサになっている。サクヤはその短い髪をそっと指ですいて、顔を髪の中に埋めて後頭部に鼻をすりつけた。
 エクルーの匂いだわ・・・セージ?バジル?クミンも入っているかも。こんなにおいしそうな匂いの男のコっているかしら。

 だしぬけに我に返って、身体を離した。
 何てこと。エクルーは誘惑されないと言った。私は彼をしばりたくない。もう何千年も、このコは私の面倒を見るために、自分の人生を犠牲にしてくれているのに。今度のことが片付いたら、彼を解放してあげよう。
 今度こそ。

 そう考えると、胸の真ん中に穴が開いたようだ。もうエクルーがいなかった時の生活が思い出せない。あらゆる思い出の中にエクルーがいる。自分はこのコなしで生きて行けるんだろうか。胸がギュッと痛んで、思わずエクルーの背中に顔を埋めた。
 今は考えまい。今はこのコは私の隣にいる。


 朝食のテーブルでエクルーが聞いた。
「今朝はヘンな夢を見なかったの?」
「ええ。代りにきれいな夢を見たわ」
「ふうん」エクルーがパンケーキを積み重ねた上にメープルシロップとクランベリー・ソースをかけた。
「・・・で、どんな夢?」
「内緒」とサクヤが微笑んだ。
「今度はアロワナ?それともボルゾイ?」
「もっといい夢」
「ちぇっ、まあいいや。サクヤ、そのカッテージ・チーズと葡萄、全部食べろよ?」
「食べたら一緒にプールに行かない?」
「ここのは訓練用だから10m水深だぜ?」
「いいじゃない。手をつないで一緒に底まで沈もう?」
「・・・いいけど」