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 明け方、夢の中のサクヤに求愛する時、エクルーは決してくちびるにはキスしなかった。それは目覚めさせる合図のように思えたからだ。夢から覚めて、現実に向き合う合図。今はまだ、夢の中にいたい。船が港に着くまで、あと少しの間。

 カフェ・テリアでベシャベシャした焼きトマトをフォークでつつきながら、サクヤはぼんやりしていた。エクルーはチーズ入りのオムレツとスモーク・サーモンをはさんだベーグルを、薄いコーヒーで流し込んでいる。待機船員なので、二人ともすぐ上から宇宙服を被れるように、保温吸湿素材のソフト・スーツを着ている。
「旅行中、あなたの料理が食べられないのがつらいわ。客船じゃないから仕方ないけど、食事がおいしくない」
「レーションじゃないだけマシだよ。リンゴ食べる?」
「・・・いいえ」
「じゃあ、カマンベール・チーズかゆで卵、どっちかは食べろ。タンパク質を摂らないと、髪がボロボロになるぞ」
「・・・じゃあ、チーズ」
 無精無精といった感じでエクルーの差し出したフォークからチーズをかじった。皮だけ食べて、ほとんど残っている。
「全部。丸ごと食べて」
 サクヤがチーズのやわらかい中身をフォークからなめ取った。エクルーは鳥肌が立った。
「・・・合格?」
「合格。もうジュース飲んでいいよ」
「厳しい世話係りね」サクヤはくすくす笑った。

 擬装空間の陽射しに目を細めて、サクヤがつぶやいた。
「また、へんな夢を見たの」
「へえ」
「青い水の中を1匹のイルカと泳いでたの。最初、海かと思ったんだけど、ガラスの壁があって大きな水槽だったみたい。気持良かった」
「ふーん、フロイトなら何て言っただろうね」
「ホントね。だって、そのイルカはオスで、私をメスイルカだと思っているらしくて、さかんにアプローチしてくるの。すごいスピードでぴったり身体を合わせて泳ぎながら、さりげなく腰を絡ませてきたり・・・」
「サクヤ、顔赤いよ?でもきれいなビジュアル・イメージだと思うな。けっこう上品なラブ・シーンじゃない?」
「それが、そうでもないのよ」とサクヤがますます赤くなりながら、両手で頭を抱えた。
「泳ぎながら、イルカが交尾しようとし始めて・・・」
 人工の朝日が降り注ぐテーブルに沈黙が落ちた。
「イルカのアレって長いんだよな」エクルーがぼそっと言った。
「言わないで」サクヤが目を閉じた。
「それが足の間に入ってきて・・・絡みつくの」
「わーお」とエクルーが言った。
「気持良かった?」
 サクヤがまた赤くなった。

「昨日は黒豹とからみ合ったとか言ってなかった?長いしっぽが絡みついて来たとか・・・」
「なぜ毎日こんな夢を見るのかしら。セラピストに相談すべき?」
「相談しても答えは予想つくね」
「そうね。”最後にセックスしたのはいつですか?”って訊かれるだけね」
「そんなこと訊かれても、答えられないよな」とエクルーがにやにやした。
「もうひとつ気になることがあって・・・」サクヤが額に手を当てて言った。
「何?」
「黒豹もイルカもアナコンダも、今まで出てきた動物の目がね、みんなキャンディーみたいな色なの。あなたと同じ目をしているのよ」
エクルーはにやっとして、テーブルの上に身体を乗り出した。ひじをついて頭を抱えているサクヤのすぐ側まで、顔を寄せる。
「俺じゃなかったら、そんな話をされた男はサクヤが自分を誘ってるのかと思うだろうね」
「あなたは、そう思わないのね?」
「だって、サクヤ、まじめに悩んでるんだろう?俺をからかうために話を作ってるわけじゃないよね?」
「まさか」
「だから、俺はこの話を誘惑ととらない」
 そう言って、ボウルからスマイルカットのオレンジを取って、サクヤに渡した。
「3切れは食べろよ」
「しなびて、香りもしないわ」
「それでもビタミンCが欠けらくらい残っている。何か腹に入れないと、胃も腸も動かなくなるぞ」
 サクヤはため息をついて、もそもそとオレンジの皮をはずして、2房ずつちまちま食べ始めた。
「そんなに食欲ないくせに、よくあんなセクシーな夢を見るよね」
「お蔭で消耗しているわ。食べたらジムで走ってくる。健全にエネルギーを発散させてみる」
 エクルーはにやりと笑った。「プールの方がいいんじゃない?」
「いじわる」サクヤはきっとにらんで、客室の方に出て行った。