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 白色光の強いライトを、人工のせせらぎが反射しながらサラサラ流れている。プラントは人気がなく、ひんやりした空気の中に光のはしごが射して、まるで教会のように静謐な空間だった。
「見て、これ、クレソンよね。こっちはルッコラ」
 サクヤは水槽に手を伸ばしては、葉っぱをちぎって口に運んでいる。
「ん。甘い。こんなにいい野菜なのに、どうしてカフェテリアに出てくる時には、べしゃべしゃになっているのかしら。ホウレンソウもおいしい」
「いいの?こんなにむしっちゃって」
「だって、これは演習用でしょ?あと2日でステーションに着いたら、すべて用なしよ。多分、水栓を止めて、枯らしておしまい。食卓にのぼるのは1/3じゃない?せっかくこんなに一生懸命生えているんだから、食べてあげなきゃ。ほら、あなたも。ホウレンソウ」
 エクルーの口に葉っぱを押し込んだ。
「ね、甘いでしょう?」
「うん」甘いのは野菜なのか、サクヤの指なのかわからない。
「こっちはスイート・バジル。好きでしょう?はい」
 また口に葉っぱを押し込んだ手首をつかんだ。そして、その手を自分のほおに押し当てて頬ずりした。それから指先に軽くキスをする。サクヤは動きを止めて、じっとエクルーを見つめた。

「こっちに来て」
 プラントの奥に小さな温室があって、観賞用の熱帯植物が植えてある。
「船内に鉢で置いてある観葉植物は、2週間ごとにここに帰ってきて療養するの。かわいそうに。ご苦労様」
 サクヤはエクルーの方を振り返って、いたずらっぽく笑った。
「あのね、プラントにくらべれば少ないけど、ここにもカメラがあるの。3台」
 エクルーはサクヤに視線をすえたまま、パチンと指を鳴らした。
「これで、無人の状態の映像を映し続ける」
「マイクは?」
「ボリューム0だ」
「それで?」
 エクルーの表情は強ばっていて、怒っているといってもいい張り詰めた顔だった。
「キスしていい?」
「安全かしら?」
「安全は保証しない」
 エクルーの両手がほおを包むと、サクヤは目を閉じた。


「サクヤ、風邪ひくよ」
 低い声でそっと起した。サクヤはエクルーの胸にぐったりと寄りかかって動かない。突然、きゅう、と音がした。
「お腹がなったわ。スゴイ。私、初めてかも」
「本当に俺の薬はよく効くみたいだな」
 サクヤはくすくす笑った。
「ホントにすごいわ。このまま2、3日食べて寝てれば、私、普通の人間になれるかも」
 笑顔がぐしゃっとゆがむと、サクヤはまたエクルーの胸に顔を押し付けた。
「今度の件が片付いたら・・・」
「アルも、壊れる惑星も、何もかも?」
「うん。結果はどうあれ、いつかは全部終わる。そしたら・・・もう一度、薬を飲めばいいじゃないか。そして普通の女の人になればいい」
「そんな事できるの?」
「できるさ。もうない星のために何年働かされてるの。もうそろそろ星読みを引退して、プライヴェート・ライフを満喫してもいいんじゃない?年金付きでさ」
「そうしたら・・・私、あなたと一緒に雪国に行って暮らしたい。自分の庭を持って・・・春は庭作り、冬は暖炉。クリスマスに歌を歌って・・・」
「子供を一人」
 サクヤは驚いたように、エクルーを見上げたが、すぐにふっと微笑んだ。これは夢物語なのだ。どんなことだって許される。
「そうね。あなたによく似た男の子。目はエクルー。髪は私に似て黒。きっと利かん気でやんちゃなの」
「それで生意気言うけど、めちゃくちゃマザコンなんだ」
「まるで出会った頃のあなたみたいに、口はきついけどやさしくて、私がベソかきそうになると、からかって笑わせてくれて・・・」
 言いながら、泣き出してしまった。ただの夢だと自分に言い聞かせながら、口に出してしまうとどれほど切望していたかわかってしまった。かなわない夢・・・・夢見るのもつらい希望。
 エクルーは、サクヤの背中をあやすようになでながら言った。
「全部はムリかもしれないけど、悔しいから一部でも実現させよう」
「どの部分?」
「それは見てのお楽しみ」
 サクヤはエクルーの胸から顔を上げて、じっと淡い金色の瞳をのぞき込んだ。
「他の全部をあきらめてもいい。その時、あなたが側にいてくれるなら」
 エクルーはぎくりとした。暗示が効いてないのか?サクヤは俺の運命を知ってるのか?その疑念をふるい落として、サクヤをぎゅっと抱きしめた。それから額にキスすると、立ち上がった。
「顔洗って、食堂に行こう。ただでさえベシャベシャのサラダが溶けちまう」
「そうね。今だったら、お肉も食べられそう」
「わーお。ヴェガ航路名物ステンレス製サーロイン・ステーキに挑戦だ」
「スポンジ製ロースト・チキンくらいにしておくわ」



 エクルーは寝袋の隣りで眠っているサクヤの裸体をもう一度抱き寄せた。額にキスして、目覚めないように簡単に暗示をかける。あれ以来サクヤは敏感になって、触れるとすぐ目を覚ますようになったからだ。
 どんなに抱きしめても満足できない。何度キスしても足りない。思わず、目の奥が熱くなった。
 くそっ。自分を憐れむのはまだ先でいい。少なくとも俺は、未来の夢の家の一員になれる。ただ、サクヤの配偶者が俺じゃないだけだ。

 手早くジョギング・スーツを着て、サクヤにはコンビ・スーツを着せた。最後に背中に腕を回してキスをした。思いのたけをこめたキス。腕の中でサクヤが震えるのが愛しい。身体を離すと寝袋から出て、漂いながらサクヤの頭上から額にキスした。
 サクヤがぱちっと目を開けた。
「おはよう。ステーションに着くまで、毎朝走るって言ってなかった?」
「おはよう。あら、もう着替えてるの?ちょっと待って、すぐ・・・」
「10時までジムは演習で占領されてるのから、軽く走って、プールで200mってとこかな?」
「タテに?直径8mしかないのよ」
「タテでもヨコでも。ジタバタすれば運動になるさ」
 サクヤはすぽんとスーツを脱いで、ワークアウト用のブラとスパッツだけになると、上からがぼっとパーカーを被った。
「お待たせ。行きましょう」