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 展望室といっても窓があるわけではない。この船は閉鎖型で窓はない。直に空が見たければ、船外に出るしかないのだ。展望室というのは、ガランとした広い倉庫の天井に、船外の風景のホログラム・イメージを投影しているスペースにすぎない。第3段階までの無重力空間訓練がここで行われるので、あらゆる柱、角にクッション材が巻いてある。スケート・リンクのような手すりが天井と壁にぐるりと設置されていて、これにもクッション素材のカバーがついている。
「私達がライセンスを取った時には、こんなに親切じゃなかったわよね?」
「まあ、今や着陸船を操縦して衛星表面をはねるぐらいのライセンスなら、成人の4割が持ってるからね。2000年前のガソリン車の運転免許証感覚だ」
「”2001年宇宙の旅”が2500年遅れで実現した、というところかしら」
「まだHALに遭遇してないけど」
「それは遠慮するわ」
 エクルーは笑いをかみ殺した。サクヤはあの映画のコンピューターを心底怖がっているのだ。幽霊よりも吸血鬼よりも怖ろしいらしい。
 一度エクルーが、あの声をデジタル・シンセサイザーで作って、コンピューターのスピーカーから流したことがある。サクヤはパニックを起して、倒れてしまった。エクルーは土下座して謝りながら、笑いが止まらなかった。そして、最後にはハグして額にキス、といういつものあいさつで仲直りしたのだ。

 そんな風にいつもじゃれ合うけれど、一度もお互いに気持ちを確認したことがない。
 サクヤを抱きながら、その言葉は何度ものどをついて出てきそうになった。その度に飲み込んだ。”愛してる”この一言を口に出してしまうと、どんな暗示をかけても思いを消せなくなる気がしたのだ。それに、もし言うなら、ベッドで言いたくない。エンドルフィンに踊らされたうわ言と思われたくない。

 2人は手をつないで、ホログラムの宇宙の中を漂っていた。
「ヴェガがまぶしいわ」
「これ以上は近寄らないよ。確かステーションは、今、第8惑星の辺りにあるはずだから」
「アルに会えるといいわね」
「すぐ見つかるさ」
 見つけたとして、それから先は?まだ全貌もつかめていない、その企みから彼を守れるのか?守れたとしても、それから?

「サクヤ、どっか行ってみたいところある?」エクルーが聞いた。
「え?」
「いつも星のお告げに従って、あちこち飛ばされてばかりだろ?自分で行きたいところはないの?」
 サクヤはしばらく黙って星を見ていた。あんまり長い間静かなので、眠ったのかと思い始めた頃ポツリと
「雪国が見てみたい」と言った。
「雪国?」また突拍子もないことを、とエクルーは笑いそうになった。
「あなたの生まれ故郷が見たかったの。ずっと。でも思い出すのがつらいかも、と思って言い出せなかったの」
 エクルーは言葉が出なかった。そんなこと、わざわざ3000年経って、25光年離れたところで言い出すなんて。笑ってからかってやろうと思うのに、口が動かない。室内が暗くて有り難かった。自分は今、どんな顔をしているんだろう。
「・・・何で俺の生まれ故郷なんか」
「だって、きっときれいなところだろうな、と思って」
 その声にやさしい憧れを感じて、胸がつまった。

「愛してる、サクヤ」思わず、言葉が飛び出てしまった。
 一瞬、息を飲む気配がして、それから温かい声が答えた。
「私もよ、エクルー。愛してる。いつも一緒にいてくれてありがとう」
 手をつないで、寄り添って、星の間を漂う。キスもせず、抱き合うこともなく、お互いの手の温もりと息づかいで気持ちを確認しあう。星の光が2人の心を充たした。


 胸ポケットのタイマーがちりんと鳴った。
「ここも訓練生に明け渡さなきゃ」
 星空の中から殺風景な回廊に戻ると、さっき感じた親密さが錯覚だったのではないかと思える。2人して途方にくれてしまった。これからどうする?サクヤはだらりと垂らしたエクルーの手に、そっと自分の手をすべりこませた。そして頭を前に傾けると、エクルーの肩に押し付けた。
 エクルーはますます進退窮まってしまった。これから卵型の客室ポッドに戻って、激しく愛し合う?そんな風にさっきの言葉を確かめ合う?その考えは魅力的だが、何だか違うと感じた。

「工場に行かない?」サクヤがねだるように言った。
「工場?」
「野菜工場よ。長期航海用の水耕栽培プラント。かわいいのよ。小さな苗がぴょこぴょこ育っていて」
 エクルーは、今ここで私を抱いて、と言われたかのように頭がガンガンした。まったくどうかしている
「それとも、ポッドに戻る?」
「いや!プラントに行こう。苗を見に行こう」