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子供がホタルのいた水盤に近寄って、手のひらですくって水を飲み始めた。
「あっ」
モニターのこちらで、ジンがガタッと立ち上がる。
「大丈夫、飲める水よ。浄化装置付きだから」
ジンが座りなおす。
ホタルが子供を誘導して、実のなる樹に誘った。子供はくんくん匂いを嗅いで、ひとつもいで食べ始める。
「ああっ」
またジンが立ち上がる。
「大丈夫。食べられる果物だから。あなたも夕べ、食べたじゃないの」
サクヤがジンの肩に手をおいた。
「ちょっと落ち着きなさいよ。しばらく、あの子はホタルに任せておきましょう。食べられれば大丈夫。あのブースは暖かいし、寝椅子もあるし。あの子が、ココは安全なんだと思えるまで、馴染む時間をあげましょう」
ジンはどっかと座りなおして、頭をボリボリ掻いた。ちょっと不満そうだ。
エクルーがくっくっくと笑った。
「ジンがこんなに過保護なんて知らなかったよ」
ちょっと赤くなりながら、ジンが言った。
「自分でも驚いているよ。押し付けられたお荷物だと思っていたはずなのに」
「でも、わかるわ。あの子、何と言うか魅力的よね。ほら、木の精か何かみたいじゃないの」
子供はホタルに教えてもらって、いくつか果実を食べ、お腹が落ち着いたのか、温室を歩き回り始めた。様々な木々の葉や花に少しずつ触れながら、植物の間を逍遥している。
ジンがぽそっとエクルーに言った。
「おまえ、聞かないよな。あの子が誰かとかどうしてここにいるのか、とか」
「どうせ、ジンが拾って、ここに持ち込んだ、とかだろう?名前を知ってたら、呼んでるはずだし。ということは誰も素性を知らないんだろ?」
「正解だ。相変わらずだな」
「何が相変わらずだって?」
「通りが良すぎて、説明不要のところ」
サクヤが会話に参加した。
「そういえば、旅の成果を聞いていなかったわ。見つかった?」
「うってつけのがね」
「何が見つかったって?」と、ジンが聞いた。
「あなたのチーム・メイトよ」
「俺の?」
「再来週には、来れるってさ」
「あの子も強力な助っ人になりそうね。見て、あのホタルの懐きよう」
3人の目にも、子供はホタルたちをまとわりつかせて、まるで会話しているように見えた。しかし、誰も実際に会話しているとは思っていなかった。しかも、その子がさらに強力なチーム・メイトを勧誘してしまうとは予想していなかった。
調整室へ、セバスチャンのアナウンスが入った。
「ヘドヴィクが飛来します。約3分後にドームに到着」
「迎撃しないでよ」
「当たり前です」ちょっとムッとした声でセバスチャンが答えたところをみると、前科があるらしい。
「2.95分とかじゃなく、約3分というところが高度だな」ジンは妙なところに感心した。
「仕込んだもの。ムダに精度を上げる必要ないわ」
「ヘドヴィクって何だ」
「岩山に住んでるミミズクだよ。時々、こっちに巡回してネズミを獲ってくれるんだ」
「ネズミが出るのか?」ジンは仰天した。
「もちろん。大温室は解放してるから出入り自由なの。ネズミが3種にジリスが2種。時々、ウィーゼルも来るわよ。ここの防風林と大温室は一種のオアシスみたいなものだから、色々利用してもらって持ちつ持たれつ。おかげで、ここのペリとナギの木が岩山の辺りまで広がってるのよ。でも、ラボまでネズミに侵出されると困るから、ミミズクに調整してもらってるわけ」
人間の住居に野生生物が出入りしている、というのがコロニー育ちのジンには新鮮だった。しかも、駆除するでもなく、利用する?
「待て、ということはそのミミズクは、あの子のところに飛んでいくんじゃないのか?」
「あら、そうだった」
まったく、この姐さんはのんびりしている、と再びイラ立ってジンは大温室の方に走った。温室は半分、野外のようなものなので、病室や調整室の間にいちいちセキュリティが入る。
「くそっ、面倒だな。よくあの子はこれを通りぬけたな」
「ホタルが呼んだんだろう」とエクルー。
「チューブを通った方が早いわ。こっち」
温室の外にトンネル状の風除室が付いていた。このチューブがハンガーと温室をつないでいて、砂嵐の時にも野外作業ができる。
ジンが温室に駆け込みそうになるのを、サクヤが腕を抑えて止めた。
「しっ、ほら、見て」
ヘドヴィクはいつもの見張り場の高枝に止まって、子供を見下ろしていた。首をくるっとかしげながら。子供はヘドヴィクに釘付けだった。じっと見つめて、ミミズクが首をかしげると同じ方向に首をかしげた。エクルーがピィーッと口笛を吹くと、ふわりと飛び立ってヘドヴィクが腕に降り立った。ミミズクに夢中で3人が入って来たことに気づかなかった子供はギクリとした表情を見せた。でもミミズクがエクルーの腕にいるので、逃げようかどうしようか迷っているようだ。
エクルーがゼスチャーで腕を伸ばしてご覧、と教える。子供がマネをして腕を伸ばすと、ヘドヴィクがふわりと飛び移った。思いのほか、軽い!
子供はミミズクの首の後ろや耳の下を掻いてやった。ミミズクは猫のように目を細めた。
「ヘドヴィク」とエクルーが教えた。
「ヘドヴィク」と子供が繰り返した。
「その子のことよ、ヘドヴィクって」とサクヤが言った。
「ヘドヴィク、ヘドヴィク、ヘドヴィク!」子供はやさしく繰り返しながら、ミミズクをなでで笑った。
「初めて笑ったなあ」ジンが感慨深げにつぶやいた。