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 午後も遅くなって、ふ、とサクヤが天井を見上げた。
「あら、エクルーが帰ってきてる」
「この嵐の中をか?誘導システムも利かないだろう!?」
「でも、ほら、もうレーダー・ソナーに写ってる。降下してるわ。セバスチャン、ライトハウス上げて。サーチライトもね。だんな様のお帰りよ」
「イエス、マーム」
 ジンはたまげた。
「おい、まさかマニュアルで降りる気か?視界0だぞ」
「でも、あの子、けっこうしょっちゅうやるのよ。ヘタすると10日でも上空でヒマつぶさなきゃいけないでしょ?ホラ、着いた」
 ズズン、という振動とともに着地タラップを示す灯りが砂嵐を透かして見えた。
「ハンガー開けました。テトラの全車輪、誘導レールに乗りました」
「ありがとう、セバスチャン」
 傾斜路から下りてきたエクルーは、いつものようにのんびりした声で挨拶した。静電気で銀髪が脱いだヘルメットに向かってぽやぽやと逆立っている。肌が浅黒いせいか、瞳のアメ色が一段と薄く明るく見える。
「やあ、ジンも来てたの。只今、サクヤ」
 エクルーはサクヤを抱き上げて、キスだのハグだのをやらかしていた。
「そういやあ、あんたらは新婚夫婦のような兄弟だったなあ」
「はは、失礼。9日ぶりだったから」
「また日焼けしたんじゃないの。ホント、あなたは構わないんだから」

 ハンガーからドームに入ったところで、エクルーが立ち止まった。
「あ、ホタルが鳴いてる」
「あら、じゃ、孵ったかな?」
 3人で病室に戻ると、カプセルが空っぽだった。
「おい、あの子がいないぞ」
 ジンがカプセルに駆け寄った。周囲は治療液でびしょぬれだった。通常、カプセルを開ける時は、液を排水して温風で患者を乾かすのだが、子供はそういう手続きを飛ばして逃げ出したらしい。病室のコンソール・デスク、ベッドやストレッチャーの下にも姿がない。
「あの子は動けるのか?」
「骨折はギプスで固定しているし、多分、痛みもなく動けると思うわ。でも、貧血がひどかったし、血圧も低いから、急激に動くと失神するかも・・・」
「あ、ほら、きっと」と、エクルーが言う。
「そうか、きっとそうね」とサクヤもうなずく。
 この2人の会話はいつもこんな調子だが、今度ばかりはジンもイラ立った。
「きっと何なんだ。どこにいるんだ」
「こっち、こっち」エクルーが手招きする。
 そののん気な様子に、ジンは殴ってやりたい衝動を抑えた。

 そこは昨日見せてもらった温室だった。
 砂塵に遮られて日が射さないが、温室の中は白色灯の人工太陽に照らされていた。その作り物の日溜まりの中で、緑に包まれて子供は座っていた。温かい光を浴びて、髪の毛が青みがかった緑色に輝いていた。その髪の毛にまとわりつくように、手のひらほどの大きさの半透明のものがいくつも浮かんで、るる、ともろろ、ともつかない音を出している。
「ホタルはあの子が気に入ったみたいね」サクヤはささやいた。
「というより多分、孵って最初に見たのがあの子なんじゃないか?」とエクルー。
「あらまあ、じゃ、あの子がママなのね」
 ジンは一人でじれていた。
「おい、あれが昨日みた卵の幼生なのか?」
「そう。おたまじゃくしみたいなもの」
「飛ぶなんて、言ってなかったじゃないか」
 サクヤは肩をすくめた。
「あいつ、あのままにしといていいのか?あのオタマジャクシ、害はないのか?」
「それどころか。あのコらがここに呼んでくれたのよ。もっと早く、ここに連れてくるべきだったわね」
「どういうことだ?」
「あの子、光合成してるんだよ」とエクルーが言った。

 子供は、茂みの陰でこちらを見ている3人組に気づいて、慌てて植え込みの下に潜り込んで隠れた。
 サクヤは慌てて声をかけた。
「いいのよ、ここにいて。お日さまをいっぱい浴びて元気になって」
「俺たちジャマしないから、ホタルとここで遊んでなよ」と、エクルーが付け加えた。
「さ、外に出ましょ」サクヤはジンの腕を取って、温室の外に引っ張り出した。
「俺たちのことが怖いのか?」
「まだ信用してないのよ。野生生物の気持ちなのね」
 エクルーはジンの肩をどん、と叩いた。
「あせんなよ。元気になれば、あの子も気持ちに余裕が出てくるって」
「あなたを個人的に怖がってるわけじゃないのよ。あの子がどんな体験をしてきたか知ってるでしょう。心を開くのに時間が必要よ。そして私達を信じてくれるきっかけがね」
 それでも、少なからずショックだった。救ってやりたいと思っているのに、俺たちがあの子を追いつめるのか?
「それより、ほら。見て、きれい」
 3人は隣りの調整室のモニターから温室の様子をのぞいた。
 子供は髪の毛を不思議な青緑色に輝かせて歌っていた。少なくとも、歌っているように聞こえた。
「言葉わかる?」
 サクヤがエクルーとジンの方に振り返った。
「うーん。連邦の公用語になってる20言語のどれとも似てないなあ」とジン。
「つまり、植民のために移住してきた人間ではないってことね」

「植民地化される前からいた原住人種ってことか」
「大気組成の変化で、入植者が3割、原住民が8割滅亡したっていう、あの惑星?バストとか呼ばれていた星?あの子はそこから来たのか」エクルーが聞く。
「あの子は正真正銘バスト人の生き残りってわけね」
 サクヤは再び、モニターの子供を見つめた。
「あの髪の毛ね、あそこに共生体が入っているのだと思うわ。原始地球の大気に酸素が増えた時、ミトコンドリアと共生して生物が生き残ったように、バストで生き延びた生き物は共生体を体内に迎え入れたのよ。光合成に都合いいように、体表面に住まわせたのね」