3.緑の約束    W.青い花の名前


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 丸三日経っても、子供は目覚めなかった。治療槽の薬液の調合を少しずつ変え、数種の点滴を試したが、効果はなかった。
 ただスヤスヤと眠り続けている。
「何か根本的な栄養が足りないようね。あるいは精神的に覚醒を拒否しているとか・・・」
「もう夜伽話のネタも尽きたぞ」
 猫っ毛のぽやぽやした枯れ草色の髪をかきながら、ジンが言った。
「まだまだ。エクルーなんか7年も私に付き合ってくれたんだから」
「大したもんだよな」
「何かきっかけが必要なのよね。目覚めを促すような何か・・・」
 外傷や栄養失調はかなり改善していた。脳波も正常だ。昏睡が続く理由がわからない。かなり砂嵐は弱くなっていたが、磁気嵐は続いていた。日光が遮られて、時計を見なければ時間の見当がつかない。
「今回は長いな」
「せめて嵐が過ぎて、日が射すとねえ」
「何か変わるのか?」
「私達の気分が明るくなる」
「確かに。俺らが疲れていると、伝わっちゃいそうだもんな」
 サクヤはジンの顔をまじまじと見た。
「何だよ?」
「順応早いわねえ。こういう目に見えない、数字に表わせないものの話なんか拒否反応するかと思ってたけど」
「当たり前だ。何年、あんた達と付き合ってると思ってる。第一、精神状態と免疫が関係するのは常識だろう」
「ふふ、そうだった。失礼しました。学習能力の高さが身上の天才科学者ですもんね」
「天才は学習なんかしないさ。俺はまあ、科学をおもちゃに育っただけだ。でも、いくつ博士号を持っていようと、この子供を助けるのに役に立たない。この星でどんな食べ物が採れるかもしらない。役立たずだ」
「ほらほら、ジンが落ち込むと子供にうつっちゃうわよ」

 こんな会話を続けながら、サクヤはラボの仕事の合間に縫い物をしていた。
「それ、何作ってるんだ?」
「あのコの服。今着ているの、ボロボロでしょう」
「変わったデザインだな」
 ストンとしたパジャマのようなワンピースシャツと、肩からかけるケープと、フードに分かれた毛織物だった。
「イドリアンの普段着。実用的なのよ」
 ジンはサクヤが縫い物をしているのを、頬杖をついて眺めていた。
「不思議なもんだ」
「何が?」
「俺は毎日服を着ていたのに、その服を誰が作ったかなんて実感したことなかったよ。食べ物もそうだ。服は買うもの、食べ物は空腹を満たしてくれればそれでいい、そんな暮らしをずっとしてきた。家なんて住めればいい。コロニーやら、ステーションやら、散々移り住んで来た」
 サクヤは縫い物をひざにおいて、ジンに向き直った。
「あんたのドームには、何と言うか・・・生活がある。地面に足のついた暮らしだ。俺は反省してしまったよ。17で連邦の理工研に入って、あちこちの植民星のテラ・フォーミングに関わったが・・・あの星は人間がまっとうな生活を営める世界に育ったんだろうか。何かその・・・移り住んだ人間が”故郷”だと思える星になったんだろうか」
 両手をあごの前で組んで、ジンはぼんやり子供の寝顔を見ていた。
「あなたの関わった星は幸運だと思うわ」
 サクヤは温かい声で言った。
「そうだろうか。何だか理論ばかり先走ってた気がしてきたよ」
「あなたは人を大切にする人間だわ。この子との関わり方を見ていてもわかる。だから、私達、あなたのところに頼みに来たのよ。辺境の何の資源もない惑星の崩壊を心配してくれるのは、あなただけだろうと思ったのよ。だってここも、たくさんの人の故郷なんだもの」
 まだ、焦点の結ばない表情でジンはサクヤを向き直った。
「あなたも故郷のなかった人なのね。この子も故郷を失った。だったら、ねえ、この惑星をあなたのふるさとにしたらいいじゃない。あなたの”ホーム”に」
「ホーム?」
「ホーム、スィート・ホームよ」
 サクヤが微笑んだ。