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 治療槽の中で漂う子供を見ながら、サクヤはぽつんと言った。
「私、生まれてから7年、こんな水槽の中で眠って過ごしたのよ」
「何だって7年も。何か病気だったのか?」
 ジンは聞いた。
「うん、そうね。病気だったのかも。”母の呪い”という名前の」
「どういうことだ」
「私が生れ落ちた瞬間、母は不吉な啓示を受けた。それで、たぶん・・・未来をすべて否定して、私を抱え込んだまま昏睡に入ってしまったの。私はへその緒で母とつながったまま、水のなかでまどろみ、漂っていた。一度も世界を見たことないまま」
「どんな啓示だったんだろう」
「私達の母星があと数年で崩壊することは、もう1000年以上まえから予言されていたの。それは未来の約束。変えようのない運命。私達の文明は、崩壊を前提に進歩したのよ。いかに崩壊を防ぐか。母星から脱出する技術。絶望しないための哲学。一番近い生命の住む惑星は、同じ太陽系の第3惑星の地球(テラ)だった。でも、その頃気候がひどくて移住は難しかったの。それで、外惑星に移民団を送った・・・10年にひとつずつ」
 手を伸ばして、サクヤは水槽のガラスをなぞった。
「どの船からも便りがなかった。無事なのか、さえわからない。崩壊の時が迫ってくるにつれ、無意味なパニックや内乱が起こるようになって、星読みの集団と統治している政局の間にも齟齬が生じて・・・」
「よくある話だな」
「時間的にも、資源的にも最後の船を送る時になって、士族長が言った。1000年後のできごとを予言できるほど星読みが有能なら、移民船に乗せておけば事故を避けて無事にたどり着けるはずだろう。1人選ぶように、と」
 サクヤはガラスの上に渦巻きを描いていた。
「母が申し出たけれど、却下された。司祭長は、この星の最後の厄災を防ぐために必要だ。外に出すわけにいかない。副司祭長を出すように、と命じられた。それは、私の姉だったの。その時は、母は私を妊娠していた。そうでなければ、長を騙してでも自分が代りに行ったでしょう。母は2人の子供のどちらかを選ばなければならなかったのよ」
 渦巻きは解けて、星の図形になった。
「私を分娩している最中に、母にビジョンが訪れた。それは、姉を乗せた船が大破する映像だったの。母は叫んで・・・その瞬間私が生まれて・・・母は昏睡に陥ったというわけ」
「やりきれん話だな」
 ジンはためいきをついた。
「私は大きな培養槽に移されて、母と2人で漂っていた。生まれる前と同じ、母の送る夢を見ていた。未来を拒絶した夢。すべての希望を絶たれて、崩壊してゆく夢。生命のない、清潔で美しい星くず・・・」
 水槽の中では子供がかすかに眉をひそめて、口をきゅっと結んでいる。サクヤの話を聞いているようだ。
「私たちの水槽は、都から離れた小さな塔に置かれたの。何もない荒野の真ん中の、見張り砲台の地下にね。近衛兵団の暗殺から逃れるために、神官たちが運び出してくれたわけ」
「暗殺?何でまた」
「つまり、不吉な災害は予言したものを生け贄にすれば防ぐことができる、と扇動する一団がいて、王様がそれに乗っちゃったのよ」
 ジンはあきれた。
「移民団を乗せる船を作れるほどの文明があったんだろう?」
「王様が本気で信じていたとは思えないけど、都合がよかったんでしょう」
「何に?」
「人心を厄災からそらせるのに。」
「バカな話だ」
「王様の次男坊が、神官に暗殺計画を教えてくれたの。でなかったら・・・」
「えらく骨のある次男坊じゃないか」
「彼は移民船に乗った姉と恋人同士だったのよ。もちろん、姉が星に残ったとしても、認められるはずのない組み合わせだけど」
「そりゃあ、親の矛盾が見えるようになるわなあ」
「彼と、もうひとり、いつも塔に通ってくる遊牧民の子供がいてね、いつも水槽の中の私に話しかけてくれていたんですって」
 サクヤが水槽から目を離して、ジンににこっと微笑みかけた。
「ちょうど、今のあなたみたいに。王宮に追われていても、厄災の予言があっても、この世界は美しいものがたくさんある、生まれておいでって。それが、エクルーだったの」
 水槽にこつっと額をつけて、サクヤは子供に話しかけるように言った。
「どんなに悲しいことがあっても、どんな災いが来ても、生きていればきっとチャンスがある。生まれておいで。目を覚まして世界をご覧って」
 子供のまぶたがぴくっと動いた気がした。
「眠りながら、私にはわかっていたの。私がへその緒を切って目覚めることは、母を殺すことだって。でも、私は目を開いて、エクルーの手を取った。チャンスにかけたのよ」
「おふくろさんは?」
「私が目覚めた瞬間、目をかっと見開いて叫んだ。私が生まれて最初に見たのは、エクルーの顔。振り返って、次に見たのは、目と口を大きく開けたままの怖ろしい母の死に顔だった・・・母が最期に叫んだのは何だったのかしら。今も考え続けているの。でも・・・私は後悔していない。いろんな事があった。悲しいことも、不条理なこともたくさん見てきた。でも美しいものにもいっぱい出会ったもの。かけがえのない友人もたくさんできた。だから・・・あなたも、あきらめないで」
 また、子供がぴくりと動いた。


 ジンは聞いた。
「あんたの母親が司祭長で、姉さんが副司祭・・・ということは、あんたもその星読みの力とやらが強いのか?」
「そうなのかもしれない。でも、私はその後、エクルーと地球に逃げて・・・散って、また3万年経て目覚めた、生まれ変わりのようなものだから、まるっきり同じ、というわけにはいかないけど」
「生まれ変わり?」
「記憶を引き継いでいるの。それによると、外見はそのままみたい。私もエクルーも」
「途方もない話だな」
「ただ、ひとつ母や姉と違うのは、自分の身近な人や自分自身の未来は見えなくなったの。だから、自分がいつ散るのかわからない。母の呪いか、祝福なのか」
「祝福にきまっているだろう。自分や身近な人間の、例えば死期が見えてみろ。そんなツライことはないぞ」
「そうかしら」
「おふくろさんは、自分が辛かったから、あんたをそんな運命に引きこみたくなかったんだよ。親心だよ」
 サクヤは答えず、じっと水槽をみつけていた。

「ペトリが崩壊するっていうのは、あんたの予知なのか?」
「いいえ、私達はただ呼ばれただけ」
「誰に?」
「さっきの卵の親に」
「ふーん。ついでに聞いとくが、今の身体になって何年生きてるんだ?」
「ざっと3000年くらいになるかな?」
「エクルーも?」
「ええ、マイナス6年。彼は未だにこだわってるみたいだけど、3000年のうちの6年なんて誤差の範囲よねえ」
「なるほどね」

 サクヤはふふっと笑った。
「ジンは驚かないのね、こういう話」
「あんたらが、20年前と変わらない姿で俺を迎えに来たときに、十分驚いたからな」
「驚いていたの。そうは見えなかった。学生時代と同じように話してくれたし」
「あの頃からヘンな奴らだと思っていたから、多少、心の準備があった。でもまあ、ここまで荒唐無稽な話に巻き込まれるとは予想してなかったけどな」
 サクヤはにっこり笑った。
「まだまだ、ほんの序の口よ」
「望む所だ。大きなラボの歯車やってて、退屈しきってたからな」
「後悔しないでよ、その言葉」
 そして実際、ジンは時々、自分の言葉を後悔することになった。