3. 緑の約束       T.家なき子たち

F.D.(銀河連邦紀元)2524年   ヴァルハラ星系第七惑星 イドラ

 地平線が不自然に明るい薄緑に輝いていた。嵐の兆候だ。急がなければ。
 ジンは砂埃で見通しの悪い通りから、さらにうす暗い路地に入った。緊張で口が渇く。何度、通っても慣れないものだ。 連邦警察法の通用しない辺境にあって、さらにこの惑星はとびきりの無法地帯だ。頻発する磁気嵐のために宇宙船が 発着できるのは月に10日もない。結局、この星に集まるのは腕利きのゴロつきばかり。宙港に近いこの盛り場は、そい つらの溜まり場なのだ。

 背後に気をつけながら小路を3つほど抜けて、”ロンの店”の黄色いランタンを見つけた時、ジンはほうっと息をひとつ吐 いた。
 ドアを押すと、カロカロと木のベルが鳴った。
「へえ、らっしゃ・・や、ドクター、ご苦労さんです」
「荷物、来てるか?」
「へい、これでがしょ?」
 マスターが両手で抱え上げたコンテナをどすんとカウンターに上げた。
「おい、ていねいに扱ってくれよ。精密部品だぜ」
「へいへい、当店はお食事、お泊り、人手の斡旋、ブツの受け渡し、何でもお引き受けしやすがね。まったく毎度どーもで ござんすよ」
「ぼやくなよ。礼ははずんでるだろ」
 ジンは銀貨を5枚、カウンターに載せた。マスターは1枚ずつ噛んでみて、ニヤリとした。
「これこれ、本物のベリル合金じゃないとね。ドクターを疑うわけじゃないが、あんたは目利きじゃないからねえ。うちは チェックはお断り。カードも電子マネーもお断り。今のご時世、どーれも役に立ちゃしねえ」
「耳タコだよ。だからこっちも苦労してベリル銀貨を調達してるんだ」
 マスターが気圧計と小さなモニターをひょいと見上げた。
「ドクター。センサーが大分下がってる。急がないと、ここで荒くれもんと一晩過ごすハメになりますぜ」
 マスターは自分の言葉で何かを思い出したらしい。急に神妙な顔をして、ジンの方に身を乗り出した。
「ドクター。ドクターはドクターでやんしょ?」
 ジンは自分が何を聞かれているのかわからなかった。
「ちょっとこいつを見てやっちゃもらえませんか」
 マスターはジンの腕をつかんで、ぐいぐい、二階に引っ張り上げた。
 大分、慣れたがロンに直接触られると怖気づいてしまう。腕に生えた細かいうろこが、ランプに照らされてぬらりと光る。その手のひらは生温かく、長い爪がジンの腕に喰い込んだ。

 ジンは故障したポンプかボイラーでも見せられるのかと思っていた。しかし、そこにいたのは床にうずくまった一人の 子供だった。
 悪臭のする湿った毛布にくるまったうす汚れた顔は青白く、半開きの瞳に生気が無い。
「おい、死んでるんじゃないのか?」
 ジンは声を潜めた。
「早晩そうなるでしょう。さっき大きな貨物船が宙港に着いたんで」
「それで?」
「まあ、20人は行儀の悪いヤツがここで寝ることになるでしょう。こいつは自分の身を守る元気もねえし」
 ジンは頭が真っ白になった。とんでもないぞ。死にかけた病気の子供を引き受けるなんて。自分は砂漠のドームに一人 暮らしだ。ガキの面倒なんて見られない。
 断れ、断るんだ!と自分に言い聞かせた。
「父ちゃん、マーメイド号のご一行様がお着きだよー」
 階下から少年の声がした。どやどや、ドスン、バタン、と荷を下ろす音もする。
「急がないと嵐が来ますぜ」
 ロンは低い声で迫るように言った。
 ジンは観念した。ワナにはまったような気持ちだ。
「わかった。こいつを引き受けりゃあいいんだろう」

 子供を毛布ごとミニ・ソーサーに運び込んで砂漠をめざした時には、空はほとんど黄色く光っていた。岩山のシルエットを黒々と浮き出して、低空に輝く光の帯が出来ている。その帯の上には暗く、鈍く光る雲の層。

  来るぞ。
 嵐が始まると、一切通信が出来なくなる。ソナーもGPSナビゲーション・システムも効かない。ひどい時は砂塵で視界が5mも無い中を、マニュアルで砂漠の中の一点を見つけるなど考えただけでぞっとする。
 ジンは手早くサクヤにメイルを打って事情を説明した。彼女なら、医者だから何とかしてくれるだろう。いや、果たして医者なのか?
 辺境探査船のパイロットのようなこともしていたようだし、この星では何かかんか育てているようだが。もう20年のつき合いだが、未だにサクヤが何者なのかわからない。そもそもジンがこんな辺境に来るはめになったのも、サクヤに呼ばれたからだった。つまり今のところ自分の雇い主とも言える。とにかく、俺が12でサクヤと会った時、彼女はメディカル・スクールにいたんだから、工学博士の俺が診るよりマシだろう。
 後部席の子供はぴく、とも動かなかった。あと30分、嵐よ来ないでくれ。今、この砂漠の真ん中で立ち往生するハメになったら、この子は本当に死んでしまう。磁気嵐は、数日続くのが通常だった。

 ジンは、成り行きで引き受けた子供を、本気で案じている自分に気がついた。ソーサーに運び込むために抱き上げた時、一瞬、子供の眼が焦点を結んで、ジンの顔をじっと見つめたのだ。その瞳が思いがけず澄んだ深い緑色をたたえていたので、ジンは胸を衝かれた。この子は生きているんだ。薄汚い荷物なんかじゃない。一人の人間なんだ。子供は再び意識を失って、ぐったりとジンに身体を預けた。その軽さにショックを受けて、ジンは図らずも涙ぐみそうになった。待て、俺はそういう本能はなかったはずだぞ。ガキもいないし、ガキの趣味もないし・・・。

 リンゴン、リンゴンという通話音にジンは我に返った。回線を開くと雑音混じりの声が聞こえてきた。
「ジン、急いで。あと15分も持たないわよ」
「急いでるよ。診てくれるか?」
「治療槽の用意をしてるわ。その子がどこの星系の人間かわからないと、薬液の調合ができないの。外見の特徴は?」
「髪は茶色、眼は緑、黄色がかった肌だが、今は青白い。何箇所か骨折があるみたいだ。意識がないから言葉もわからん。身長は150センチってとこか。体重は40キロないぞ。ガリガリだ」
「わかったわ。一番、適合人種の多いタイプVを用意しておくから、一刻も早く、その子を連れてきて!」
 話の通りは早くて助かるぜ、とジンは考えた。会った時から、そうだった。通りの良過ぎる奇妙な姉弟。サクヤとエクルー。 いつでも何でもお見通し、という顔をしていた。怖い姐さんだ。

 サクヤのドームに着くのと、磁気嵐が来るのがほとんど同時だった。誘導のマイクの声がジャミングしたと思ったら、生の呼び声が聞こえた。長い黒髪を風に乱して、サクヤはハンガーまで迎えに出ていた。
「こっち。できるだけ、頭を動かさないように」
 毛布でくるんだ子供を治療室に運ぶ。2mばかりの長さのカプセルが口を開いていた。
「服、そのままでいいわ。膿が癒着してるみたい。そっと寝かせて」
 フタが閉じて薬液が満たされるのと同時に、メディカル・スキャンが始まった。
「わ、肋骨が2本折れてる。鎖骨、尺骨も骨折。打撲も上半身が中心みたい。栄養失調もひどいわ。でも、この外傷は最近のものね。リンチにでも遭った?」
 ジンは子供の外傷にも、やせ細った外見にもショックを受けていた。まだ10、11歳ってとこだろうに。治療液の中で漂う肢体は、枯れ枝のようにポキリと折れそうだ。
 スキャンが検出した骨折箇所に少しずつカルシウムが析出してギプスを形成していく。皮膚から吸収されて骨の再形成を助けるタイプだ。アームが壊死を起し始めた組織を取り除き、殺菌ジェルパックを手際よく塗っている。
 ジンは生々しい外科治療にちょっと気分が悪かったが、カプセルの性能にも感銘を受けていた。
「何度かあんたのドームに来ていたが、こんな最新のメディカル・ブースを持っていたとは知らなかったな」
「何にもない辺境の地にあなた方をひっぱり込んだ責任上、ね。自給自足よ」
「あなた方?俺の他にもいるのか?」
「いずれね。今、エクルーがスカウトに行っているの」
 会話しながらも、ジンの眼はずっとカプセルの中の子供に据えられていた。さまざまな色のスキャニング・ライトに照らされ、青白く光る液体に浮かぶ姿は、人間離れして美しくもあった。しかし、その生命感の無さにぞっとする眺めでもあった。
「助かると思うか」
「外傷はね。もう骨折も固定したし、すぐ動けるはずだけど。栄養失調の方が深刻だわ。どういう事情か聞いた?」
「ロンの話では、5日前に着いた避難船から下りた連中と一緒に宿に来たらしい。この子供の言葉は誰もわからなかったし、どういう事情で船に乗ってたか、知っている人間もいなかった。最初、この子供は妹と一緒だったが、もう立てないほどの衰弱ぶりで、3日前に死んだ。宿の連中が埋葬してやろうとしたが、この子がとりすがって遺体から離れようとしなかったらしい。そのうち、匂いもするし、不衛生だ、と騒がれ始めて、ムリヤリ引き離して死体を埋めた。ケガはその時のものだ」
 悲惨な話に、サクヤは眉をひそめた。
「この子の言葉、ジンは聞いた?」
「いや、眼を開けたところだって一瞬見ただけだ」
 サクヤはためいきをついた。
「この薬液が効けばいいんだけど。こういう時、エクルーがいたらねえ」
「そういやアイツ、大学の時、どこの星系の人間だろうとダチを作ってたな」
 サクヤはくすくす笑った。
「あなたもけっこう対抗していたわよね。4星系、地方言語で11マスターしたから、あとひとつで年の数だ、とか言って」  ジンはちょっと赤面した。
「コロニーのラボ育ちだから、こまっしゃくれていたんだよ」
「でも、あなたの方がエライわよ。エクルーは話が通じるだけで、ほとんど読み書きはできないんだもの。読めるのは6言語くらいじゃなかったかしら」
 外傷の手当てが済んで、汚れた薬液をいったん排水して、新しい栄養液がカプセルを満たした。センサー・アームが伸びてきて、両手首や胸、頭に取り付いた。シリンジ・チューブが上腕に差し込まれて、点滴を始めた。
「俺、エクルーは犬、猫、とでもしゃべってるんじゃないかと思ってたな」
「ふふ、そうかもね。しゃべっているというか・・・何だか通じちゃうみたいね」
「テレパシーみたいに?」
「そうかもね」
 ジンは今まで一度も彼らに聞いたことがなかった。どこから来たのか。何者なのか。そして、今、いったい何歳なのか。二人の外見は20年前と少しも変わらなかった。若くみえる、とかそういうレベルではなく、まったく変わらないのだ。
「さ、これで何かあればアラームが知らせてくれるわ。食事にしましょう。どうせ、あなた、今日は帰れないわよ。看病を手伝ってもらうわ」
 サクヤが食事の支度をしている間、ジンはシャワーを浴びてエクルーの服を借りて着替えた。ドームの外では嵐が吹き荒れている。磁気嵐のせいで、外部との通信は一切遮断されている。外気温センサーは−30℃を指していたが、ドームの内部は温かく快適だった。