花の叫び


F.D.2548

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 アカネはずっとイライラしていた。
 何もかも気に食わない。
 くじいて言う事を聞かない足も、そのことについてルカが謝りに来たのも。

「悪かった。僕の不用意な発言のせいだよね。僕の調査は後1週間で終わる。それまでもう絶対に君を不安にさせるようなことを言わないと約束する。だから、足が治ったらフィールドに戻ってきて欲しい。君が魅力的というのを別にしても、君と仕事してると楽しいんだ。全然違う視点でフィールドを見ることができた。新鮮……という言葉じゃ言い表せないな。目から鱗……というのかな? 衝撃だった」
 調査の話をしているのに、やっぱりアカネは落ち着かなかった。
「僕が最初に失敗した夜。あの前の所まで時間を戻したい。あそこまでは僕達、凄く良い相棒だった。そう思ってるのは僕だけじゃないよね?」
 アヤメは何も答えなかった。
「週末までゆっくり休んで。週明けから戻って来てくれ。必ず2人きりにならないようししておく。生態学者としての君が必要なんだ。あのフィールドのベテランがね。この星は凄いよ。今までの科学では説明できない。こんなに過酷なのに生き生きしてる。泉も石も蛍も……有機的に結びついているんだよね。この星のどんな小さな草も、星全体と繋がっている。これまで見たどんなフィールドもそうだったのかもしれないけど、気がつかなかった。でもイドラなら実感できる。蛍や草の言葉を翻訳してくれる人間が必要なんだ」

 アカネがやっぱり何も言えないでいると、
「アカネ、握手してくれ」とルカが頼んだ。
 アカネがぼんやり右手を差し出すと、ルカがギュッと握り返した。
「ありがとう。待ってるよ。足を大事にしてくれ」

 パーティーの間もずっとルカの視線を感じていた。
 目が合うと必ず微笑みかけてくる。
 でもアカネは微笑み返したりしない。
 髭の無いルカはびっくりするほど魅力的だったが、そのことを認めたくない。
 このイライラする状況から助け出して欲しい。
 誰に?
 リィンなら話を聞いてくれる。でも昔からリィンは私より私の気持ちをわかってくれる所がある。見透かされて、指摘されたくない。

 エクルーと踊りながら上の空だった。
 断じてエクルーに甘えることなぞできない。
 困らせたくない。
 せっかく幼馴染として、思いやり深く接してくれているのに。
 これ以上欲張っちゃ駄目。
 きっと私がすがるような心細そうな顔をしていたのだろう。
 曲が終わった時、エクルーは何も言わずにポンと腕を叩いて、励ますように微笑んだ。

 サイモンと踊りながら、アカネは驚いた。
 どうしてこの2人はそっくりだと思ったりしたんだろう。全然似てないのだ。

 ルカの方が生真面目。
 ルカの方が情熱的。
 ルカの唇の方が柔らかそう。

 アカネと目が合ってサイモンがにこっと笑った。
「足が治って良かった。もう痛まない?」
「ひねると少し……でも週明けから青谷に戻れるわ」
「それは良かった。何だかヤツは、植生回復における蛍と石の関与ってテーマに夢中でね。そうなると僕はお手上げだ。神様と話すには君が必要なんだよ」
「からかってるの?」
「とんでもない。真剣だよ。僕のぼんくらはテレパスじゃ蛍と交流できない。リィンに習って口笛で寄せてみたりしてるけど。要するに僕じゃ蛍は同情してくれないのさ。イドリアンなら赤ン坊でもできることが僕にはできない。君が心底うらやましいよ」
「神様にはお供えも効果的よ。提灯と甘いお酒といい音楽があれば、蛍と仲良くしやすいわよ?」
「ホント? やってみる」
 笑った顔はルカに似てる。
 でも、サイモンに手を取られても、腰に手を回されても、ちっとも怖くない。圧倒されない。髭は無くてもベージュのテディベアのように人畜無害に見える。

 曲が終わると、ルカがやって来て、サイモンから私を受け取った。
 やっぱりそっくりだけど、全然似てないわ。

 ルカには圧倒される。
 腰に回された手が熱い。
 身体中がぴりぴりする。
 息が詰まる。

 何か話して空気をやわらげたいのに、言葉が出てこない。
 ルカも一言も話さない。
 視線を離したいのに離せない。
 最後に一言だけ言い残して、ルカはホールドを解いた。
「青谷で待ってる」


 ルカは約束通り、礼儀正しく振舞った。
 ビジネススライクに、でも暖かい態度を崩さない。
 またふわふわの髭が顔を覆い始めていた。
 唇の上も顎も。
 意外になめらかそうな頬も。

 フィールドでは3年前には無かった植物がいくつか見つかった。そのうちの一つが珍しいフウチョウランで、半径100キロ以内には生息していない花だった。どこからどうやって来たんだろう。
 メドゥーラがあっさり答えを出した。
「蛍だろう」
 ルカはビックリした。
「蛍ですって? ヤツらがどこから移植したっていうんですか?」
「このコロニーも十分育ったから、またここからそのうち株を持ってくだろう。見てたらいい。蛍にも好みというものがあってね。ヤツラにとっては、この星は大きな庭みたいなもんなんだよ」
 見ていると蛍が寄ってこないので、ルカはこっそりカメラをしかけた。

 テントでモニターを見ていたルカが声を上げた。
「アカネ! ホタルが来た!」
 体長60cmばかりのホタルが5匹、蘭の群落の上をふよふよ飛んでいる。全部の株を丹念に見回っているように見える。
「C3の株だ。バルブが5つ出てたヤツ」
 アカネはルカの背後からモニターを覗き込んだ。
「バルブを分けてるわ」
「あんなに前足短いのに器用なもんだ。爪をうまく使ってる。でもどうやって運んでゆく気だ?」
「飛んで来たのよ? 飛ばせばいいのよ」
「ああ、そうか……でも、どこへ……」
「ほらe7の株も掘ってる」
 アカネは思わずルカの肩をつかんで、モニターに見入っていた。
 最終的にホタルは5つの株から2〜3コずつバルブを分けて、元の株に丁寧に土をかけた。
 しばらくコロニー全体を見回していたと思うと消えた。
「飛んだ!」
「どこに植えるのかしら。ホタルは数年先の天気まで読めるの。干ばつの来ない、星が落ちてこない安全な所に移植したのね」


 2人の目が合った。  アカネはルカの肩に置いた自分の手に気付いたが、すぐには離さなかった。自分が置いたくせに、びくっとした。
 ルカに手を重ねられる……重ねて握って欲しい?
 ルカはただ微笑んで「見に行こう」と言った。

 コロニーは60cm級のホタルが5匹、はい回って土木作業をしたと思えないほど整然としていた。
「ホタルは随分優秀な庭師らしいね」
「そういえば母さんが……」
 アカネは思い当たってつぶやいた。
「イリスが?」
「母がいつも行く墓地があるの。宙港の近くに。そこに母の妹が埋葬されているんだけど……お墓の上に香りの良い白い花をつけるつる草が茂っているの。母は、その花が……母の妹だというのよ」
「比喩でなく?」
「比喩でなく」
「この星の花でないのは確かよ。でも誰かが持ち込んだのかもしれない。とにかく、ホタルはどういうわけはその花が好きなの。そしてその花のシース……むかごみたいな栄養体を色んな所に植えに行くのよ。それが、必ずしも環境の良い所ばかりじゃないの。砂漠の真ン中だったり、土もない岩場だったり。メドゥーラは、今良くないだけで未来は良くなる場所かもしれない、と言うの。あまり信じてなかったけど……」
「信じる気になった?」
「サユリを見ているとね」
「確かにあの子は不思議だよね。でももっと不思議なのは君のお母さんだよ。どんな星から来たんだろう」


 ルカに何もかも話したくなった。
 これまでアカネは警戒していたのだ。この余所者にどこまで石やホタルの秘密を話していいか。どこまで自分や母の秘密を話していいのか。
 ルカが裏切らなくても、ルカが持ち出した情報を悪用されたら? また悲劇が起こる。でもアズアもメドゥ−ラも頓着せずに、何でもルカに話しているのが意外だった。ルカを部外者にしておきたくて、ぴりぴりしているのは、どうやら自分だけらしい。

 彼を信じて、裏切られたくない。
 一人でエクルーを思っているだけなら安全だった。誰も私を傷つけることができない。
 でも、ルカは私を簡単に傷つけることができる。それが怖い。

 馬鹿馬鹿しい。
 ルカに何ができるっていうの?
 失恋ぐらいで死にやしない。怖がって、何も手に入らられないくらいなら、火傷覚悟でつかめばいいのだ。びくびくしているのに飽き飽きだ。

「案内するわ。叔母の花を見て。それから分布を調べてみましょう」
「気候変動の予測ができるかもね」
「ホタルの言葉がわからなくても、これなら目に見えるでしょう?」
「やってみよう」


 ルカのヨットで墓地に行く前にリィンの泉に寄った。
「こんにちは。サユリ、来てる?」
「来てるよ。おむつを替えて絶好調だ」
 3匹のホタルがサユリをあやしていた。

 アカネはサユリを抱き上げると、話しかけた。
「あのね。今から叔母さんのお墓参りに行くの。母さんの妹よ。シレネーっていうの。シレネーはホタルが大好きなお花なんですって。会いたくない? 一緒に行かない?」
「シレネー? ループー、ピールー」
「何だって?」とルカが聞いた。
「さあ? でもホタルには通じたみたい」
 ホタルが、りーるー、りーるーと騒いでいる。

「あんたたちも来なさい」とアカネが言うとパッと消えた。
 先に飛んだらしい。
「リィン?」
 アカネが見上げると、リィンはため息をついた。
「お供しよう。専属ナニーだもんな」