3月ウサギのディナー・パーティー

F.D.2548


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 アカネはイラついていた。
 まったく何て男だろう。これさえなければ……。

 6月の青谷は天国のようだ。色とりどりの花。様々な生き物。月のかけらが降って、一面の焼け野原になったなんて信じられない。今でもクレーターの中心でガラス化した暗緑色の岩石を拾うことができる。このガラスと、驚異的に豊かな植物相だけが、かつての災害のなごりだ。

 最初、ルカはいいヤツだと思ったのだ。
 知識が豊富だし、生態系の保全に対するスタンスもアカネと同じだ。フィールドに出て、最初に見付けるものも同じ。見付けて嬉しいものも同じ。ヨットで移動しては空の下で煮炊きして、アカネはヨットのシートでルカはテントで眠った。一緒に行動していて安心だった。気心が知れている。色々打合せをしなくても、お互いの行動が読める。アカネはこの年になって、素晴らしい友人ができた嬉しさに、つい警戒するのを忘れてしまったのだ。うす茶のくるくるとした髪と髭で、まるでぬいぐるみの熊のように見えたものだから、バリアが必要だとも思わなかった。
 子供の頃、好きだった絵本が同じ。
 好きな音楽も同じ。
 大好きな映画も同じ。

 なのにアカネは、ルカの目がキラキラしているのに気付いて、ワナにはまったような気がした。
 急に怖くなった。
 どうしてこの男といて安心などと思ったのだろう。

そんな、アカネの気持ちに気付かず、ルカはテーブル越しに手を伸ばして、アカネの手に重ねた。
「何だか運命を感じるな」
 アカネは手を振り払うと、席を立った。
「私は感じない。おやすみなさい。明日も早いわよ」
 ルカは懲りずにアカネの腕を掴んだ。
「待って! 俺、何か悪いことした?」
「悪くない。手さえ離してくれるのなら」
 何て空気の読めない男だろう。
「わかった。また明日」
 そう言って顔を屈めてキスしようとした。
 アカネはその顔を引っ叩いた。
「スウェンソンさん。2人だけで夜営している時に、そんな行動に出るなんて非常識よ。私、今夜は家に戻ります。誰かシャペロンを見つけてくれない限り、私はあなたとフィールドに出るつもりはありません。わかった?」
 ルカは頬を押さえてまじめな顔をしていた。
「ごめん。君を怖がらせるつもりはなかった。ただ、挨拶を……」
「フィールドワークに挨拶は要りません。私達はデートに来たわけじゃないのよ? 私はこんな状況で、ラッキーとばかりひと夏のアバンチュールを楽しめるような女じゃないの」
「俺だってそんな男じゃない。君じゃなければ、挨拶しようなんて思わなかった」
「信じないわ。おやすみなさい。明日は1人で頑張って」
 そう言い残すとヨットに飛び乗って、家に戻った。

 それで、その後、青池の野営地はいきなり賑やかになった。
 入れ替わり立ち代り、いろんなメンバーが調査に参加した。ルカの双子の兄のサイモン、スオミとフレイヤ、メドゥーラ。
 エクルーとサクヤまで顔を出したのに驚いた。
「サクヤはここの植生調査と薬草の効能で論文を書くんだよ」
 とエクルーが報告した。
「アカネの論文を参考にさせてもらってるの。いい?」
「勿論よ。あれから3年経って、また草が増えたのよ? あなたは目が利くから強力な助っ人だわ」
「それにここに来れば父さんに会えるから」
 その話にサイモンが飛びついた。
 サイモンもルカもテレパスだが、今ひとつイドリアンと波調が合わなくてホタルの言葉もわからないのだ。
 2人して毎晩、泉の側で座禅を組んだりしている。アルは2人を泉に突き落としてやれ、と笑っている。2人のテンションが上がれば上がるほど、どういうわけかアカネはイライラした。

 その調査が終って野営地に戻った時アカネは切り出した。
「明日、サクヤと一緒に108個目の泉に行くんですって?」
 双子が丸っきり同じタイミング、同じアクションで振り返った。
 アカネはぞっとした。私とアヤメはここまで似ていないわ。
「そう。やっと泉やホタルの話を銀河標準語に訳してくれる人に会えた」
 サクヤは石のことをどこまで話す気なのだろう。
「あなたがた、ちゃんと気を使って頂戴ね。アズアはツーリスト・ガイドじゃないのよ? サクヤのお父さんなのよ? アカデミーの人体実験のせいで、2人きりの親子なのに一緒に暮らせないのよ?」
「知ってる。許されないことだ」
「アカデミーの残党はおおむね捕まって罪を償っているが、それで犠牲者の心の傷が消えるわけじゃない」
 アカネは悲しくて叫び出したくなった。そういうことじゃないの。そんなことを言って欲しいわけじゃないの。
「ここは戦争記念公園でも植物園でもない。皆ここで生きているの。暮らしているの。あなた達みたいに他所から来て、面白がる人々のために見世物をやってるわけじゃないのよ!」
 2人はそっくりな同じ明るい緑の4つの瞳で、アカネを見つめ返した。
「そんなつもりはない」
「でもそう感じさせたとしたら申し訳ないことだ」
「僕たちは所詮他所者だが、すっかりこの星に魅せられてしまった」
「ここに住みたいとさえ思う」
「僕は君を、サイモンはアヤメを見つけて魅せられた。ここで4人で暮らせたら、と思う」
アカネはショックを受けた。
暮らす? 4人一緒に? それどういう意味?
目から涙が溢れた。
「あなた方にはわからないのよ! 泉の声もわからない! ホタルの気持ちもわからない! 私達の事なんかわからないくせに!」

 アカネは野営地を飛び出した。
 トレイルに沿ってクレーターを横切って岩山の方に走った。
 涙で前が見えない。 息ができない。
「きゃあああああああ」
 ガレ場に足をとられて枯れ谷に滑り落ちてしまった。

 ずきん、と右足に痛みが走る。
 足首をくじいてしまったらしい。両足ともズボンが破けて、傷から血が出ている。
 何て馬鹿なんだろう。
 もうすぐ日没なのに、装備も待たずに野営地を出るなんて。クーガーに襲われたらどうするの? 足の痛みと心細さで泣きたくなった。
そして、心の痛みに。
私はどうしてあの双子を認めたくないの? 八つ当たりして、言いがかりをつけて何を確かめようとしているの?

「おーい。お嬢さん、迎えに来たよ」
 アルがデイパックをしょって、身軽にガレ場を滑り降りてきた。
「わ、こりゃ酷いな。救急セットがある。手当てをしよう」
 くじいた足を固定して、切り傷を洗って消毒して薬を塗る。
「手馴れてるのね」
「妻が医者だからね。よく助手させられてる。簡単な縫合とか、脱臼はめるのも得意だよ。お嬢さん、脱臼してないかい?」
 アルが指をわきわき動かした。
「してないわ。また今度ね、ありがとう」
 アカネは笑い出した。
「本当にありがとう。来てくれたのがアルで良かった。怪我して動けないってわかった時、助けて欲しかったけど、助けて欲しくなかったの」
「誰に1番来て欲しくなかった?」
「エクルー」
「それから?」
「ルカ」
「なるほどね。正解だった。スオミが2人を止めて、俺が代理で来たんだ」
 アルが東の空に向かってするどい口笛をひと吹きした。
 すると東の方から2回口笛が帰ってきた。
「エクルーだ。君を見つけた。無事だ、という合図」
「エクルーも来てるの?」
「いや、これは野営地からだ」
「信じられない。野営地の口笛が聞こえるの?」
「俺達のはちょっと特別だからね」

「さて、帰る前にうちの不良娘を回収していいかね。あ、座ったままでいいよ。ほら手を出して」
 アカネの手をアルが握ると、ぱっと風景が変わった。
 108個目の泉のテラスに飛んだのだ。アカネがぽかんと口を開けているので、アルが笑った。
「あれ、アカネは飛んだの初めてか。この辺ならフレイヤが毎日みたいに来てるから、連れて来てもらえばいい。ここに座って。足、動かさないように」

 アルは階段を駆け下りて、泉を覗き込むと呼びかけた。
「アズーア、うちの不良娘が行ってないか?」
 アカネはまたびっくりした。
「フレイヤは泉の中にいるの?」
「何驚いてんの。そっちの妹も泉に入り浸っているんだろ?」

 泉の中からアズアとフレイヤが現れた。5歳のフレイヤは親子並の年の差にめげず、アズアに猛烈アタック中なのである。
 アズアは半身だけ水から出して、人魚のように岸に寝そべった。2人とも全然濡れていない。
「お迎えが遅いから、今日はうちに泊めてやろうかと思い始めたところだ」
「お心遣い有り難いけど、うちの娘は未成年なんだ。まだ当分、外泊禁止だよ」
 フレイヤがアカネの所にかけて来た。
「大丈夫? 痛い?」
「平気。アルが上手に手当てしてくれたから」

「アカネもこっち来て」
 フレイヤが手をとると、あっという間に泉の側に飛んでいた。
 アカネは目をぱちくりした。
「凄い。あなたがた皆こんな風に飛べるの?」
「アカネだって草とかルパと話してるじゃない。サユリも赤ちゃんなのに凄いし」
 アカネが笑った。
「フレイヤだって赤ちゃんの時、凄かったのよ。いきなり消えたと思ったら、星の裏側に飛んじゃってて。アルとスオミが真っ青になって探したのよ?」
「覚えてないな」
 フレイヤは顔をしかめた。

「アカネ、ちょっと謝ることがある」
 アズアは優雅にうつぶせによこたわって微笑んだ。背中まで垂れた真っ直ぐな黒髪が顔の周りを緑どっている。
「謝るって?」
「ええと、まずは盗み聞きしことについてだな。君達の会話が聞こえてしまってね」
「このオッサンはうちの夫婦の会話までこっそり聞いてんだからな」
 アルが混ぜっ返した。
「君といくらも違わないんだから、オッサンはやめてくれ。ここにいると耳に入ってくるんだよ。盗み聞きしたくてしてるわけじゃない」
「でもいい暇潰しになったろ?」
「まあね」
 アズアはにやっと笑った。その顔はアルより若く見えた。
「まあ、その盗み聞きのせいで、何故アカネがこんなとこまで走って来たかわかったわけだ。すまないな。私とサクヤをかばって、同僚と喧嘩をしてくれたんだろう。ありがとう」
 アカネの顔が赤くなった。
 目を見開いて口を震わせた。
「謝らないで。お礼なんて言わないで。あなた達のために喧嘩したんじゃないの。ごめんなさい。恥ずかしいわ。私はただ、何でも言いがかりをつけて、あの2人をやっつけたかっただけなの」
「どうして? ルカもサイモンも優しいじゃない。お髭がふかふかの茶色の熊のぬいぐるみみたい。面白いし」
とフレイヤが聞いた。
「そこが問題なのよ」
「アカネはルカを嫌いになりたいのね? どうして?」
 唇と手の震えが止まらない。
 両手を胸の前でしっかり握り合わせて、気持ちがバラバラにならないように深呼吸する。
「どうしてかしら。自分でもよくわからない。それで怖くなって逃げ出したんだわ」
アズアは頬づえをついた。
「まあ、彼らも無造作にプロポーズしすぎだよサイモンは既にアヤメに逃げられているのに反省がない。あれではアカネがびっくりしても仕方がない」
「まあ。2人一緒に双子からプロポーズされたの? ロマンチックじゃない」
「そうかしら。ひとまとめに、丁度いい、みたいな言い方だったのよ。何かのついでみたいに」
「それは嫌よね。せめて花束を持って膝まづいて欲しいわ。それでいっぱい褒めてほらうの。君はこの花より綺麗だ、とか、あの星を君に捧げよう、とか」
「……だそうだよ、アズア?」
とアルが言った。
「覚えておこう。シルクのドレスとかサファイヤの指輪とかでなくて良かった。それはちょっとこの泉では調達できないからな」
 アズアが笑った。

「アカネはドレスとかが欲しかったの? だから怒ったの?」
「ドレスなんか欲しくない。私は気持ちが欲しかったの。安心させてくれる言葉が欲しかったの。何だか今は落とし穴に落っこちた気分。最悪よ。自分にもルカにも腹が立つ」
「まあ、慌てて結論を出す事ないさ。どうせフるなら、入念に準備して効果的な言葉を投げつけてやれ。でないとあの朴念仁どもは振られた事も気付かずに、ずっとまとわりついてくるぞ?」
そう言ってアルは立ち上がった。
「さ、帰ろうか。フレイヤ、君は野営地のスオミのとこに帰れ。あの双子に要らん事を言って、ヒントをやらないでいいぞ。少しは反省すればいいんだ。アカネは家に送ってくよ。足の痛みがひくまで野営はきついだろう。明日はどうせあのトゥイードゥルディーとトゥイードゥルダムは、このオッサンにインタビューするんだろ? 君は休んでていいよ。薬草のことならスオミがフォローするし」
「ごめんなさい」
 アルがにやりとしてアカネの顔をのぞき込む。
「どういたしまして?」
「……ありがとう」
 アカネがやっと笑った。
「アルって素敵だわ。一緒にいて凄く安心できる」
「お嬢さん、それは男として褒め言葉じゃないぞ。安心できるのは、お互いに対象外だとわかっているからだ。つまりゲイの男と同じだ。何でルカといて落ち着かないのか考えてみたらいい」
「アル、あんまりアカネを苛めるな。今日はもう十分ショックを受けてるんだから。アカネ、明日は君の代りにあの2人をいじめといてあげよう。あのトンチンカンな泉崇拝だの座禅だのには、いささかウンザリしてるんだ。石の夢を見せて目を回させてやる。少しは謙虚になるだろう」
「ありがとう、アズア。でも彼らの知りたい事はちゃんと教えてあげて?」
「あの鈍感テレパスどもに理解できればね。さ、もう帰んなさい。足が腫れるかもしれない。マメに包帯を巻き直すんだよ? フレイヤ、またね。おやすみ」
「おやすみ」

 次の日の夕方、ジンのドームにフレイヤが遊びに来た。
 話している間もくすくす笑いが止まらない。
「アズアったら酷いのよ。散々芝居がかったこと言って驚かした挙句に、あの2人をシールドなしで北側の泉に放りこんだの。アズアの泉の石たちが大笑いしてたわ。1、2分石の側にいただけで真っ青になっちゃって。それで、今はアズアを救世主かなんかみたいに拝んでるの。まじめなのは評価するけどずれてるわよね、あの2人」
 アカネとアヤメも笑った。
「でもちょっと可哀想。2人とも他の星から来たんだもの。泉やホタルに対する私達の気持ちが理解できないからって、いじめちゃ可哀想だわ」
「アヤメはずいぶん優しいのね。でも母さんだって異邦人だけど、誰よりもホタルの言葉を読み取ることができたんでしょ? 要はセンスと相性よ」
 アカネがばっさり切り捨てるので、「アカネはまだ怒ってるの?」とフレイヤが聞いた。
「でも、例えばエクルーがアルニカとアスターの区別がつかなくなっても、アカネは馬鹿にしたり癇癪起こしたりしないでしょ? どうしてそんなにルカにだけ厳しいの?」
 フレイヤがまじめに聞いてくるので、アカネはぐっと言葉につまってしまった。
「まあ、いいや。でも週末は大変ね」
 アカネが片方の眉を上げた。
「週末って?」
「聞いてないの? ここでディナー・パーティーやるんでしょ? 私とパパとママも呼ばれてるの。エクルーもサクヤも。リィンも。あの双子も。私、ママとポテトサラダとクッキーを作るのよ?」
 アカネはあまりのことに、しばらく何も言えなかった。
 エクルーとリィンと双子? 酷すぎる。