最終兵器
F.D.2547
ジンはハンガーで工具をいじくっていた。
住宅用ドームと隣接して、研究用ドームを作り、常勤の研究員をかかえるようになっても、自分で部品を組み立てて、シンプルな計測器で電圧や磁場を測っている時間がいちばん楽しい。ここは俺の城だ。
デリケートな作業に熱中していて、ハンガーにイリスが入って来たのに気づかなかった。一段落して満足したので、思い切りのびをしているとハンガーのすみに置いたアーム・チェアーがきらりと光った。
よく見ると、イスのひじから床までなめらかな銀糸がたっぷりこぼれて落ちている。ジンは音を立てないようにそっとそばにひざまずくと、イリスの寝顔をとっくりと眺めた。
不思議だ。
初めて会った時から、イリスはちっとも変わったように見えない。もっともイリスについて不思議なことはそれだけではないのだが。青緑に輝く髪も、日光をエネルギーに換える能力も、ホタルやイドリアンと話す力も。そして、多分、この惑星の原動力といってもいい泉の石の声を聞き取り、未来を読む力も。
これらの特異能力は、ジンにとってイリスの美しさの一部であり、魅力の元でもあった。
でも結局、それはあってもなくても、どうでもいい。
初めて会った時、こちらを見返した目の輝き、あれだけでジンは捕まってしまったのだ。もう逃げられないし、逃げようとも思わない。
イリスがふっと目を開いて、ジンに気づくと微笑んだ。
「初めて会った時の夢を見てた」
「そうか。俺もちょうど思い出してた」
イリスがまた微笑んだ。
「よくあんなやっかいなガキを引き受ける気になったもんだ」
「後悔してない。とてつもないラッキーな拾い物だったと思う。あの時の、あのタイミングでロンの店に行かなかったら……と時々考える」
イリスは身体を起こして、ジンをきらっと見つめ返した。
「どうなってたと思う?」
ジンはイリスのほおに手を当てた。
「これだ。この目の輝き。これで俺の人生は変っちまった。あの日、イリスに会わなかったら……ここまでイドラに関わったかわからない。今もイドラに住んでたかどうか。きっと家族もなく、一人でさまよってただろうな。世界に舌うちしながら」
イリスが手を伸ばしたので、ジンはごく自然に手をとった。
「なあ、子供を作ろう」
そうイリスがきっぱり言ったので、ジンは一瞬息を飲んだ。それから笑い始めた。
「あの時も、君にそう言われた。サクヤの妊娠がわかった時。腰を抜かしたよ」
「また、腰が抜けたか?」
「いや、さすがに慣れた。でも今から作ると上の双子と年が離れすぎじゃないか?」
「泉にワイロだ」
「ワイロだって?」
慣れたといいつつ、毎度、突拍子もない、イリスの発言に驚く。そして、わくわくしてしまう。
「五人も子供がいるから、一人くらい泉と同調できるヤツが育つと思った。ミヅチがいなくなって……イドリアンの泉守りの力も弱ってきている。もう俺もさすがに二度も ”春の乙女“ はやれない。必要なんだ……俺たちの子どもが生き延びるのに……強力な泉守りが」
ジンは急にことの重大さが飲み込めてきた。
「あの子らが生き延びる…? この先、また何かあるっていうのか…?」
「あるかもしれない。ないかもしれない。わかるのは、あいつらの子供が子供を生む頃、我々にはメドゥーラがいない、ということだ。もうサクヤもいない。ヴァルハラはまだ若い。俺は子供が生めるうちに、俺の力を継いだ子が欲しいんだ。この星はまだ、偶然と幸運だけに頼るには……危うすぎるんだ」
ジンは安楽イスの横にひざまづいて、イリスの手をぎゅっと握った。
「何が見えているんだ?」
「わからない。アヤメかアカネが泉守りのヨメに行ってくれてたら、多少、事情も違っていたんだが。仕方ない、こればかりは。子供には子供の人生がある。俺の不安は俺が解消するしかない。でもジンは……俺の夢を一緒に見てくれるだろう? 泣いてる子供に、もう一度、一緒に生き延びよう、と言ってくれるだろう?」
明かりを落としたハンガーの中で、イリスは窓から射す月の光を浴びて輝いて見えた。こうして手を握っていても、イリスは一人だけ全然違った世界の捉え方をしている。ミヅチがペトリの嘆きに共鳴して、自らの身体ごと惑星をくだいた後、イリスはここで一人、イドラの声を聞いているのだ。
「何度でも言うさ。イリスと、イリスの子供のためなら。……一緒に生き延びよう」
「ありがとう。俺、ジンに会えて良かった」
ジンは、しばらく握りあった手の上に顔を屈めて、イリスの膝に頭をのせていた。
「何、笑ってるんだ?」
「いや、申し訳ないな、と思って」
「何が?」
ジンはまだイリスの膝から頭を挙げない。
「おい、どうしたんだ」
ジンはまたイリスを見上げた。
「いや、いつも俺だけ気楽で申し訳ない。君がそんなに思い詰めてるのに、俺はずっと、君の話を聞きながら……」
「何だ?」
「綺麗だなぁと見とれてた」
イリスが一瞬、目を見開いて、両手を膝の上でぎゅっと握った。
それからくつくつと笑い始めた。
「まいった。ジン。あんたは凄い男だ。その気楽な一言で、俺の不安は吹っ飛んだ。そうだよな。こんなに思い詰めてたら、できるものもできない。俺、ホントにジンに会えて良かった」
「俺も良かった。イリスに会えて。……なあ、ひとつ頼みがあるんだが」
「何だ?」
「うん。いや……やっぱりいい」
ジンが珍しく赤くなっている。
「言えよ。気持ち悪いな」
「イリス、一度でいいから ”私、あなたに会えて幸せだったわ“ って言ってみてくれないか」
イリスはきょとんとした。
「そう言ってるじゃないか」
「だから、言葉が……まあ、いいや、忘れてくれ」
イリスがにいっと笑った。
ジンの顔にそっと屈むと、耳元でささやいた。
「ジン、愛してる。私、あなたに会えて幸せだったわ」
ジンは首から耳まで真っ赤になった。
「どうしたの、あなた。私の気持ちは知っていたでしょう? 私はあなたの、そのお気楽な所に救われていたのよ? 頼りにしているわ、ダーリン」
ジンは文字通り腰を抜かした。
イリスはくつくつ笑った。
「まさか、こんなに効くとはな。もう仕事は終わりか? 寝室に行こう。一晩中でも甘くささやいてやるぞ?」
「イリス……」
「しまった、すまん。さあ、ダーリン。一緒に行きましょう。お望みなら、これからずっとこうして愛をささやいてもいいのよ?」
ジンはやっとで体勢を立て直した。
「いや……いい。普段は今まで通りにしてくれ。腰が砕けて何も出来なくなる」
イリスはにっこり笑った。
「わかったわ、ダーリン。これはベッドの中だけね」
「悪かった。降参する。もうやめてくれ」
「久しぶりで心配だったが、これならすぐ子供が出来そうだな」
「こっちは寿命が縮みそうだよ、やれやれ」
ジンはイリスの肩を抱いて、ハンガーを出て行った。
ジンは未だにイリスを抱く時、倒錯じみた罪悪感を感じてしまう。
5人の子供を生んだというのに、イリスはまだ成熟していない少女のような、はかなげな身体をしているからだ。ヤマネコのように挑んでくるくせに。ジンの腕の中では急に素直にぐったりする。その変化にいつも頭を殴られたようなショックを受ける。
まだ名前も知らなかった。声さえ聞いたこともなかった。ただ一度、瞳の輝きを見たあの瞬間から、今まで一度も気持ちが揺らいだことがない。自分がこんなに一人の人を愛せる人間だったなんて知らなかった。
「ジン……」
「愛してる。出会った時から1gも変わらず」
イリスはしばらく目を輝かせてジンの顔を見つめていたが、にこっと笑って答えた。
「俺なんか、100倍くらい増えたぞ。あ、しまった。あの頃の100倍もあなたが好き。あなたがいて良かった」
「イリス……俺を殺す気か」
「まだまだ」