p 2


 祝日に、婚約者が友人たちとハイキングに行ってるスキに、職場から女のコに私用電話をかける。しかも、そのコが自分にほれてるのを知った上で。くそっ、まるで浮気のようじゃないか。
 ジンは家族同然だ。だからジンの娘も家族同然。同い年だが、兄と妹のような関係だ。問題ない。そう、自分に言い聞かせて深呼吸した。

 モニターにはジンが出た。
「あれ、珍しいな。メイルじゃなくてわざわざ・・・まだ深夜割引でもホリディ・フリーシーズンでもないだろう?」
「ケチで悪かったな。こっちはこの年で扶養家族を抱えているんだぞ。仕事場からだ。アルの許可をもらった。アヤメいる?ちょっと話したいことがあるんだけど」
「へえ。まったく珍しい。平日に仕事場からアヤメに電話・・・と。イリス!アヤメはどこだ?呼んでくれ。エクルーから電話だ!」
「今、部屋を見たとこだ。いなかった」
「ラボは?とにかく、どこかモニターの近くにいない?」
「アヤメさんは、このドームの付近5km以内にいらっしゃいません。地下に潜ってでもいない限り」と、ホーム・セキュリティーロボットのカール・エマニュエルが報告した。
「うちだ!うちの温室にいないか?」エクルーが叫んだ。
「え・・・と、繋がりました。あ、多分そうです。温室のカメラに写ってます。ピアノを弾いてらっしゃるのは、アヤメさんでしょう。アントンに確認させますか?」
「いいから、この通信をピアノの横のモニターに回してくれ。ジン、しばらく2人で話していいか?泣かせちゃったんだよ。謝りたいんだ」
「わかった。こっちのスピーカーは切っておく。でも話が終わったら、アントン経由でも何でもいいから、ちょっとこっちにも顔を出してくれ」
「うん。カール・エマニュエル?」
「つながってます。どうぞ、回します」

 アヤメはショパンの”雨だれ”を弾いていた。ゆっくりとくり返し。この曲を弾くと涙が止まる。涙の代わりに音のしずくが降ってくる。

 背中に垂らした髪が、西日を受けて天使の翼のように輝いている。肩甲骨を浮かび上がらせて、細い腕でピアノを弾く姿は美しかった。
 くそっ、きれいだな。将来、この子のやさしさに甘えるような男につけこまれてこの子が傷つくと思うと、想像するだにムカムカする。でもそのろくでもない男からアヤメを守る権利はエクルーにはない。


「アヤメ」
 エクルーの声が響いて、アヤメははじかれたように立ち上がった。
「驚かせてごめん。こっちだ」
「エクルー、さっきはごめんなさい。私、あなたを傷つけるつもりじゃなかったの。しかも、仕事場まで電話してしまって。迷惑だったわよね。ごめんなさい。2度とこんなことしない。私どうかしてたの」
 一気に言うと、また泣きそうになって口に手をあてて必死で我慢している。くそっ、かわいくて胸が痛む。
「謝るのはこっちだ。さっきはちょっと別のことでイライラしてて・・・八つ当たりしちゃったんだ。君がやさしいから」
 アヤメの目が丸くなった。
「ひどい言い方をした。許してくれ。君の論文を楽しみにしてるよ。あの夜の様子をフレデリックが録画してた。まだ保存してあるから見せてもらえばいい」フレデリックというのは、温室の執事ロボットの一体だ。
 アヤメはまだ目を丸くしたまま、何も言わずにモニターを見つめ返している。
「アヤメ、許すと言ってくれ。でないと、俺は今晩眠れない」
 笑顔がゆっくり広がった。
「許すわ。ただし、あなたが許してくれたら」
「許すって何を?」
「ただあなたにがんばれって言って欲しかっただけなのに、許可が欲しいなんて誤魔化して、平日の職場に電話したこと。頭のおかしいストーカー女みたいよね、ごめんなさい」
「それ以上謝らないでくれ。俺もウソをついた。こっちはタジクの祝日で休みなんだ。サクヤはシャマーリやカラとトレッキングに行ってる。俺とアルはひまだからラボに来てただけだ。君は何もジャマしてない」
「なぜウソをついたの?」
「さっきみたいに君を傷つけそうでイヤだったから。君と距離を取ろうとしてしまって、あんな突き放した言い方をしてしまったんだ。すまん」
「それ以上謝らないで、許すから。電話をわざわざありがとう。そのやさしさを誤解して、バカな期待をしたりしないから安心して。あなたがサクヤをどんなに大事にしてるか、私、よくわかってる。あなたが私を傷つけないように心配してくれただけで、十分幸せなの。ありがとう。ごめんね・・・さようなら」
「さよなら。ありがとう・・・ごめんね」
 温室の回線を切った。

 モニターに、アヤメのきれいな泣き顔の代りにむさくるしいジンの顔が現れた。
「よう、色男」とジンが片手のコーヒーマグを上げた。
「どういう意味?」エクルーがむっとして聞いた。
「アルからタレこみメールが来た。エクルーがアヤメをふって泣かせたので、フォローするように言っといたって」
「それは事実と違う。まあ・・・でも同じことか。まったく。相変わらずここはプライヴァシー0だな。アヤメ、泣いてるんだ。迎えに行ってやってくれ」
「いや、その必要はないだろう」
「ジン!」
「だって、失恋した直後に親の顔なんか見たくないだろう?18にもなって。大丈夫さ。あの子は見かけほど弱くない。思う存分泣いたら、ちゃんと一人で帰ってくるさ。温室からうちなら自動操縦で帰れる。俺は見た目気丈なアカネの方が心配だよ」
「ジン・・・いい父親だな」
「グレンとこのリィンがちょうどバザールから北上中だから、いつものように温室をのぞいて連れ帰ってくれるだろう。ヤツはアヤメに夢中なんだ。空振りばかりしているが」リィンはグレンの長男で、エクルーやアヤメ、アカネと同い年の幼馴染だ。
「随分放任主義なんだな。泣いてる娘を、モーションかけてる男に迎えに行かせるのか?」
「娘を信用してるからね。それに娘にだって傷つく権利がある。あそこの監視体制は知ってるから、リィンもバカなマネはしないだろう。おまえは心配しなくていいよ」
 エクルーはまた胸が痛んだ。「そうだな。後は頼む。次は深夜のホリディ・フリー・プランでかけるよ。じゃな」
「じゃな。サクヤやスオミによろしく」


「17分20秒。5分から超過した分はお前の給料から引いとくぜ」
「アル!」
「今度は盗み聞きしてないぜ?回線が切れるのをモニターで見張ってただけだ。フォローしたか?」
「ああ」
「じゃあ戸締りして飲みに行こう」
「アル、過保護だよ。俺にだって傷ついて泣く権利がある」
「バカモン。誰がおまえを心配してなぐさめると言った。休日出勤したから、今からお前をサカナに飲むだけだ。またやさしい言葉をかけて釣り直したんじゃあるまいな?」
「ないない。アヤメの方が上手だよ。今頃リィンと月夜の散歩だ」
「何だって?」
「飲みながら話す。ホント、ゴシップが好きだよね。アル、オバさん化してるぜ?」
2人はバザールの屋台に飲みに出かけた。