シークレット・セキュリティ 〜晴れときどきHALの日〜


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F.D.2547 (エクルー23歳、サクヤ14歳)

 エクルーと小さなサクヤの住む温室ドームにはプライヴァシーがほとんどない。

 いつも10体前後のターミナル・ロボットがうようよして”研究”と称して人間を観察しているからだ。ドーム全体の頭脳である”セバスチャン”の端末ロボットは全部で300体以上いるが、必要でないときはハンガーの片隅で”節電モード”にして眠っている。一応、大雑把に執事、メカニック、庭師、ラボ・アシスタントと役割分担しているが、オールマイティに何でもこなす有能なロボットだ。しかし、外見は2000年前の流行でドラム缶にボウルを伏せたようなクラシックな形をしている。
 このロボットどもに加えて、ドーム名物の監視網があった。温室ドームはずっと”蛍石”の秘密を守っていたので、ペトリの生物を培養しているラボや、ペトリの植物の種子や実生を育てる苗床も含めて、ドーム全体に死角なくカメラとマイクを設置して監視している。
 さらに温室と風除室仕様のフード・トンネルは、ほとんど公共の施設になっている。原住民のイドリアンは生体信号で外来者と識別できるので、無条件で出入り自由だ。蛍石を祀った泉にお参りし、石を生むミヅチを神として信仰するイドリアンが、ドームの秘密を外部にもらすなどあり得ないからだ。ドームを囲んだ赤外線センサーでひっかかっても、イドリアンと確認されれば警告も攻撃も受けない。彼らは野生生物と同様に、オアシスとして温室ドームとそれを守る緑地を活用してい
る。遊牧やバザールへの行き来に、イドリアンは温室で休憩し、家畜に水をやり、防風林や防砂林の下枝や果実を家畜に喰わせる。移動の際の重要なポイントにあるので、温室の状況はたちまち周囲のイドリアンに知れ渡る。フレキシブルで、かつ破るのが難しい、生きたセキュリティなのだ。
 それ以外の関係者は、信号を発する認証キーかトークンを身につけて出入りする。常連客は、執事ロボットに声紋、虹彩パターンなどを覚えてもらうと”顔パス”となる。
 住人が留守中でも、執事や庭師が客人を応対し、もてなす。温室ドームは城砦、病院、保育所、キャラバン・サライとして有機的に機能しているのだ。


 そんなプライヴァシーのない温室の住人たちは、”見られていること”が常態となっているので、丸っきり他人の目を気にせず自分たちの生活を送っている。まるで動物園のクマのようだ。とはいえ、エクルーはケジメとして”あいさつ以上のキスは寝室以外でしないこと”という規律を自分に課していた。見物料が取れるわけでなし。
 しかし、早朝なので油断していたのだと思う。先日の嵐で温室に損傷が出たという報告を受けて、昨夜遅くサクヤの大学があるアカデミア・プラトンからイドラに帰ってきたのだ。自分たちがここにいることは誰にも知らせていないから、少し大胆になっていたのかもしれない。

 アカネは、エクルーが小さなサクヤにキスするところは何度となく見ているので慣れていた。しかし、サクヤがキスに応えているのは初めて見てショックを受けた。目を閉じて、のどをそらせて、エクルーを受け入れている。アカネは、温室の入り口にデータ・ファイルを落としてしまった。

 カシャーンと音がして、2人がはじかれたように身体を離した。アカネと目が合う。
「あ・・・あの、ごめんなさい。2人はまだプラトンだと思っていたの。苗床の植生リストが見たくて、フランツに頼んでコピーをもらいに来たの。じゃ、またね」
 素早くファイルを拾って、ドームを出て行った。ドカッドカッというルパの駆け足の音が遠ざかって行く。2人は顔を見合わせた。
「サクヤは気にしなくていい。植え替え作業を続けてて。グスタフ、ここ頼んでいいか?」
「イエス・サー。」ガードナー・ロボットの1体が答えた。
「フランツ、ちょっとラボまで来てくれないか」エクルーが呼んだ。
「了解。グスタフに指示して、すぐ行きます」
 外見はグスタフとそっくりな主任庭師ロボットが返事した。そっくり同じな小さな2つの離れた目と半月型の口。違うのは、タグに書かれたターミナル・コードだけだ。