ワードローブとアクアリウム



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 ジンの住居ドームの横に、小さなカプセルが増設された。ペトリの魚や両生類を飼育するアクアリウムを作るためだ。水温を調節するヒーターや冷却装置がけっこう電気を食うので、小ぶりの発電用風車を3つ取り付けた。イドリアンの子供たちは水槽に入った魚を見るのも珍しければ、風車も初めてなものだから、連日カプセルに押しかけた。温室からガードナー・ロボットが3体出張して、魚の世話や子供たちへの応対を手伝っていた。


「ジーン、またトゲカジカの卵、目が生えてるよー!」
 常連のイオがジンを呼んだ。
「本当か?朝見た時は気づかなかったのに。水温を低く抑えてるのに、どうして発生しちゃうんだろう?それも、この1番上の水槽だけ・・・」
「明るすぎるんじゃない?」イオが意見を言った。「この水槽が一番ライトに近いだろ?明るくて日が長いから、春が来たと勘違いしちゃったんじゃないか?」
 ジンは感心した。
「なるほどね。植物を育てる時は当たり前のように日照量を調整するくせに、忘れてたよ。採取した場所の冬の日射時間になるようにライトの点灯時間を調整してみる。ありがとう」
 イオはちょっと照れ臭そうに笑った。
「ついては頼みがある。アクアリウムの管理を手伝ってくれないか?俺は手が回らないんだ。バイト料を払ってもいい」
 イオはちょっと考えた。
「金をもらっても使い途がない。代わりに空き時間にいろいろ教えてくれないか。コンピューターとかロボットとか。何でも手伝うから」

 そういうわけで、ジンは只で優秀な助手を手に入れてしまった。イオは目端の利く、覚えの早い生徒だった。来年、ミラ星系の高校に進学するというので、それまでできるだけ仕込んでやろうと思った。


「ジーン、イリス達が帰って来たよ!」
 カプセルの外でイオが呼んだ。湖で水生昆虫と魚の卵を採取していた一団が戻ってきたのだ。
 アマデウスが操縦するヨットから下りて来たイリスを見て、ジンが仰天した。
「イリス!ずぶ濡れじゃないか!着替えなかったのか?」
「ああ。チビ達を着替えさせるのに忙しくて忘れてた。もうあらかた乾いてしまったな」
「いいからシャワー浴びて着替えて来い。髪もちゃんと乾かせよ」
 イリスは返事もせずに、面倒くさそうにドームに引っ込んだ。

 魚の卵が入ったケースを運びながら、子供たちが心配した。
「ジン、イリスとケンカしたの?」
「夫婦ゲンカ?」
「バカ、まだ夫婦じゃないだろ?」
「じゃあ、ただのケンカだ」
 ジンは苦笑した。
「ケンカじゃないよ。心配するな」
「ケンカじゃないのに口を利かないのはもっと悪いわ」
 5歳の女の子がこまっしゃくれた事を言う。
「そうやって、愛情が磨り減っていくものなのよ」
 誰かの受け売りだろうが、今のジンには笑い飛ばせる余裕はない。
「ほら、もたもたしてるとせっかく取って来た卵が死んじまうぞ。ロボット達に採取データを渡して入れる水槽を決めてくれ」
 イオが子供たちをカプセルに追い立てた。
「ガキの言う事をいちいち間に受けるなよ、いい大人が」
 自分もまだガキと呼ばれる年頃のくせに、大人びた口を利く。
「いや、すまん。助かった」
「でもイリスのことはちゃんと考えた方がいいね。ねらってる男、多いんだぜ」
「え?」
 固まってるジンを残して、イオは子供たちの作業を手伝いに行った。
「卵を移してバケツを洗ったヤツから、ロボットにおやつをもらってくれ。今日はリオの母ちゃんからクッキーの差し入れだ」
 わあい、と声を挙げて子供たちがテーブルに群がった。
「手を洗ってくださいね」
 ゲオルグが小言を言う。
「温かいお茶もありますよ。ペヨの実の砂糖漬けも」
 アマデウスがもみくちゃにされながら、給仕している。

 わいわいとおやつを食べている子供たちを、ジンは感慨深く見守った。1年前には、すさんだ街の裏通りで機械だけを相手に暮らしていた。それが今は同居人がいて、友人がいて、近所の住人すべてが知り合いという賑やかな生活を送っている。
 この星に来て良かった。ただ、懸案事項は同居人だった。いつまでも同居人のまま、というわけにいかないらしい。でもそれはジンの不得意分野だった。
 自分はイリスをどうしたいのか。イリスにどうして欲しいのか。”イリスが欲しい”と宣言したものの、どうしていいかわからない。顔を合わせる度に途方にくれてしまう有様だ。近頃はもう何だか少し面倒臭くなってきた。イリスは俺に何を期待しているのだろう。甘いプロポーズの言葉?花束?ダイヤの指輪か?
 イリスは何も言わない。何事もなかったかのようにすまして黙々と食卓で、食事を口に運んでいる。でも待っているのがわかる。
 ああっ、くそっ。いっそ”こうしてくれ”とはっきり言ってくれれないいのに。
 イリスと2人でいて緊張しなければならないのもつらかった。以前はゆったりくつろいでいられたのに。


「ドクター。ミズ・サクヤからメッセージです」アマデウスが呼びに来た。
「”頼まれていた古着を今から持って行っていいか”とのことです。何と返事しますか?」
「ありがたい。待ってるって伝えてくれ」
 子供たちもイオも帰ってしまったドームで、イリスと2人きりになるのは気が重かった。来客は歓迎だ。


 20分でサクヤがやって来た。アマデウスが出迎えて荷物持ちをした。
「イリスの部屋に運んでくれる?」
「かしこまりました」
 ジンもアクアリウムから出て来た。
「助かるよ。わざわざすまん」
「気にしないで。私が気をつけてあげなきゃいけなかったのに。私が縫った2組とメドゥーラの上着しか服がなかったのよね」
「俺がバザールでいくつか見繕ってみたんだが、女の服なんて良くわからないし、ネットのカタログ見せてもぴんと来ないみたいなんで・・・」
 サクヤがにこっと笑った。
「私の服じゃサイズが合わないかもしれないけど、少なくとも実物だからぴんとくるでしょう」
「しかしすごいな。これは全部古着か?」
 ロボット達が大小さまざまな箱を次々運び込んでいる。サクヤはため息をついた。
「しかもほとんどが新品。袖も通してないのがたくさん」
「だってあんた・・・言っちゃ悪いが、いつも同じような服ばかり着てるだろう?」
 サクヤがまたため息をついた。
「ジンにまでそう言われるなんて。これ全部エクルーのお見立てなのよ。たまには違う服を着ろっていろいろ買ってきてくれるんだけど、やっぱり着られないの。バザールに出すのもエクルーに悪いし・・・」
「ふうーん」