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 3日めにキジローとサクヤが腐植をすきこんだ土にビニールシートをかぶせていると、ヤマワロの声が聞こえた。
(エクルーが今、ゲートを抜けた。迎えてやってくれ)
「どこのゲートなの?」
(赤石堰だ。悪夢から覚めたが、2、3日はふらつくだろう。しばらく甘やかしてやってくれ)
 サクヤがすぐハンガーに向かおうとするのを、キジローが止めた。
「ヨットより船の方が早い。タケミナカタを立ち上げておくから、毛布と水を用意してくれ」
 タケミナカタは、あの翌日ペトリから乗って帰ってあった。あの時も、サクヤは一緒にペトリに来たがったのに、ヤマワロに止められたのだ。
(エクルーは、今、夢と闘っている。君はいわば、彼の泣き所だ。今は離れていた方がいい)
 サクヤは納得してはいなかったが、食い下がることはせず、黙ってキジローを見送ったのだ。そして、当然、キジローもエクルーの顔を見ることさえ適わなかった。2人で、ただじりじりと回復を祈る以外できることはなかったのだ。

 キジローがつかんだサクヤの手は冷たくて震えていた。
「落ち着け。良くなったから帰って来たんだろう?」
「ええ・・・」
「ほら。毛布を・・・」サクヤと同じくらい、キジローも動揺していた。
「ええ・・・」
 20分で赤石堰の祠についた。
「俺は船で待ってる」キジローは毛布をきっちり巻いて、水のボトルと一緒にコンパクトな荷物にしてサクヤに持たせた。
「助けが必要だったら呼べ。暗いから足元に気をつけろ」
「呼ぶって・・・どうやって?」2人は無線機も電話も持っていない。
「とにかく呼べ」

 サクヤは泉の石段を駆け下りた。エクルーは泉の縁に敷いた石の上で、へたり込んだように座っていた。サクヤは駆け寄って、そばにひざまづいた。
「エクルー?」
 そっと髪に触れる。エクルーはうなだれて、顔をかくしている。ほおが冷え切っているので、あわてて毛布でくるんだ。
「エクルー?大丈夫?」
 エクルーが何かつぶやいたので、サクヤは顔を寄せた。
「・・・俺たちは失敗したんだ。何もかも遅かった。もう何もできない。何もしてやれない・・・」
 サクヤは両腕をエクルーの頭に回して、ふわっと自分の胸に抱き寄せた。何を見たんだろう。何を見せられたんだろう。何も聞かずに、サクヤは指でエクルーの銀髪をすきながら、顔を光に透ける髪に埋めた。
「俺、臭いよ?3日フロに入ってないから」
「3日、泉に漬かってたんでしょ?臭くないわ。いつものあなたの匂いよ。セージにバジル。今日はカルダモンの香りもする。おいしそう」
 自分の頭をエクルーの頭の上に休めながら、サクヤがつぶやくように言った。 
「キリコが撃たれる前ね、キジローに訴えたんですって。”殺してくれ”って」
 エクルーが頭を上げた。
「もしこれ以上ひどいことがあるとしたら、あの子達をアカデミーに預けっぱなしにすることよ。もし何もしてやれないなら・・・私たちが殺してあげましょう」
「そんなこと、キジローにさせられないね」
「ええ。私たちでやりましょう」
「とにかく子供たちを奪還しよう。ペトリに」
「ええ。ペトリの白い花畑を見せてあげましょう。最後にひとめでも」

 不自然な生命になってしまった”石の子供たち”の精神が、アカデミーのシステムから解放されたとき正常に戻る保証はない。それどころか生命を保てるかどうかさえ。それでも彼らをあの冷たい船の底に置き去りにするわけにいかない。どれほど強いコントロールを受けても、彼らはみな、自分のしたことを忘れていないからだ。そして、暖かい場所へのあこがれを忘れていないからだ。たとえ攻撃のさ中でさえ、彼らの心は渇望で叫んでいた。

 スオミが一番ショックを受けたのもそこだった。彼らはスオミの中の明るい花の風景を見て、むしり取るように群がった。ペトリの花畑を垣間見て、子供たちは自分がいかに暗く冷たい場所にしばられているか自覚してしまった。
 父が命がけで逃がしてくれなければ、ミヅチがポッドをペトリに誘導してくれなければ、自分もあんな暗い場所にいたはずなのだ。私だけが助かって、のほほんと暮らしてしまった。
 エクルーが飛び込んできて遮断してくれるまで、スオミは子供たちの手を振り払うことができなかった。必死でしがみついて、スオミの中から明るさと暖かさを分けてもらおうとする、救いを求める手を。それは命じられた攻撃なんかではない。コントロールの下の、心からの叫びだったから。

「うん。見せてやろう。世界にはこんなに明るくて暖かくて、きれいな場所があるんだってことを」
 泉の祠の底で、天窓から差し込む光の中で、2人は身を寄せ合っていた。涙も出ない。もうない星の子供たちを探してこんな宇宙の果てまで来た。もう少し早くここにたどり着いていたら、何か変わっていただろうか。
「少なくとも私たちはスオミを見つけた」
「うん。スオミがいる」
「スオミは?」
「ミヅチとイリスとメドゥーラがついてる。大丈夫だ」
 ふと、エクルーが目を上げた。
「キジローも来てるの?」
「ええ。船で待ってる。助けが要るときは呼んでくれって」
「どう呼ぶんだ?」
「さあ?」
 エクルーは試しに呼んでみた。
”キジロー”

 本当にあっという間にキジローが現れた。そして何も言わずにエクルーに突進すると、まるでタックルでもかますようにぎゅうっと抱きしめた。
「よく帰ってきた」
 その切羽詰った声に、エクルーは感動してしまった。
「もう、お前に会えないような気がしたんだ。お前がいって、サクヤがいって、俺はひとり取り残される・・・」
 キジローが抱える孤独の深さに、エクルーまでひきずられそうになる。
「何言ってんだ、いいオジサンが。ほら、手を貸してくれ。まだふらつくんだ」
 肩を貸すと、ほとんど担ぐようにして、キジローはエクルーをゆっくり運んだ。
「昨日、グレンのとこで灰色牛を1頭つぶしたらしい」
「季節じゃないだろう」
 唐突な話題にとまどいながらも、エクルーがコメントした。
「肩肉のいちばんいいところを、持ってきてくれた。半分はシチューにしてグレンがスオミに持ってった。うちはどうする?スキ焼きか?しゃぶしゃぶか?」
「いい肉だった?」
「ああ。極上だ」
「じゃあ、しゃぶしゃぶ。キジローの手打ちうどんもつけてくれ」
「もちろんだ」
 サクヤとエクルーは改めてキジローの存在を有難く感じた。この甘えん坊で、そのくせ人をあやすのがうまい男がいなかったら、2人で沈み込んでしまったにちがいない。
「牛乳かんも作ってあげる」とサクヤが言い添えた。
「誕生日か何かみたいだな」エクルーが言うと、サクヤが笑い出した。
「誕生日じゃないの。忘れてたんでしょう?メリー・クリスマス」
 キリスト教と縁のない辺境の星にいて、すっかり忘れていた。
「夕方、ジンも来るって言ってたわ。一人でさびしいからって。それまでにおフロに入ってさっぱりしましょう」
「フロかあ。入りたいけど、まだ立ちくらみしそうだなあ。一人で入れるか不安だなあ」
 キジローの肩を借りながら、エクルーがいたずらっぽく言う。
「俺がフロに放り込んでやるから、サクヤに洗ってもらえ」キジローがため息混じりに言う。
 両側から2人に支えられて、エクルーは笑った。
「何だか俺って、お父さんとお母さんに甘やかされた子供みたいだね」
「病気の子供は甘やかされる権利があるのよ」
 やっとで祠の入り口まで出てきた。よく乾いた冬の日がタケミナカタを照らしている。
「いっぱいわがまま言ってちょうだい」
「じゃあね、温室の木にクリスマスの飾り付けをしてほしい」
「いいわよ。それから?」
「お父さんとお母さんに仲良くして欲しい。俺に遠慮せずに」
 キジローとサクヤの動きが止まった。
「今さら何もなかったフリしても不自然だろ?いつまでここにこうしていられるかわからないんだから、時間を大切にしよう」
 2人がぎこちなく顔を見合わせているので、エクルーが付け加えた。
「もっともまた冬眠されるようなことは困るからね。サクヤもヤバイと思ったらきっちり断るように」
   2人はまだ言葉が出てこないようだ。
「さ、帰ってクリスマスしよう」
 キジローがぐいっと肩をずり上げて、エクルーを持ち上げて向き直った。
「わかったが、こっちも条件があるぞ」
「ふうん。何?」
「おまえもお母さんと仲良くしろ。妙に気を使って家出するな。今度、家出してみろ。俺が家出するからな!」
 キジローのタンカにエクルーが噴出した。
「よくわからない理屈だけど、何だか感動した。わかったよ。もうお母さんに心配かけないようにする」

 エクルーは何を見たか言わなかった。キジローも聞かなかった。ミヅチ達に必要な情報が伝わっているなら、それでいい。
 運が良ければもう一度キリコに会えるだろう。
 いや、運が悪ければ、か?
 今度こそキリコに殺されてもいい。でもその前に、船で声を聞いた子供たちを笑わせてやりたい。ここに連れてきて、イドリアンのちび達とトンボを追って走り回らせてやりたい。世界にはこんな美しい場所があるのに、あの子たちは冷たい液体の中でゆれながら、いったい何を見ているのだろう。
 一瞬でいい。明るいトンボの夢を見せてやりたい。