彼方からの手紙
「やっぱりこういうのって反則よね」
サクヤは悩んでいるようだった。
「こういうのってどういうのが?」
と俺は聞いた。
その頃、サクヤは連邦の研究所に潜り込んで、研究助手をやってた。
何という研究室だったか正式名称は覚えていないが、ワープ航法とか光速飛行時のタイムラインとか、そういう系統の理論物理のチームだったと思う。サクヤは博士号を持っていないので、データ処理とか、翻訳・校正とかそういう雑用をしながら情報を拾っていた。
俺は何やってたっけ。そこそこ売れてるバンドのバック・コーラス兼ベーシストやって、ツアーについて回ったりしてたんじゃないかな。
「何が反則だって?」
「もうない星の技術を持ち込むことよ。また星を丸ごと壊されるような目に遭いたくないわ」
「でも待ってられないんだろ?」
「ワープだけじゃ行ける距離が限られているもの」
「その向こうに行きたいんだ」
「ええ。多分。必要になった時に行けないとつらいわよね」
俺はモニター越しに相談に乗っていた。
この頃は、俺たちは分業して別な方向を探して、会うのは年に数度という生活をしていた。大きな予知夢が途切れていた時期でもあって、サクヤが比較的落ち着いていて、放っといてもちゃんと自分で食べていたからだ。
「必要になるのいつかわかる?」
サクヤは眉間にしわを寄せて、首をかしげていた。こういう顔の時はどこか、俺に見えない別の位相をのぞいているのだ。
「まだ先の話なら、理論だけリークすれば?」
「ああ、なるほど。そういう手もあるわね」
「その時点で航法ができてなかったら仕方がない。地道にワープを繰り返すなり、コールドスリープするなりして行けばいい」
「”賭け”というわけね」
できた論文を見て、俺は笑ってしまった。
たった1P。ろくすっぽ説明もなく、数式が7つ書かれたのみ。しかもその数式も論理展開の最初と終わりだけで、途中が一切無い。なんて不親切な。
俺はもとの理論も知っていた。それもやっぱり1枚の図式だった。一見アール・ヌーボーの窓か何かのデザインに見える。無限にくり返される植物を思わせる曲線が描く軌跡。もうない星の人々は何と洗練された数の世界を持っていたことだろう。文明の最初から、未来の惑星崩壊を約束されて、その終末のために閉じた円の内側を美しい軌跡で埋めていったのだ。あれから数万年経っても、今の銀河系に散っている知的生命体の文明は、もうない星の最終到達点を越えられない。でも彼らは予言されていた惑星崩壊を防げなかった。だから、おそらく我々は、彼らを越える必要がないのだろう。
サクヤはあの美しいデザインを読み解いて、数式に翻訳した。数式も美しい。この限られた記号で表される無限の世界。
これが今の俺たちの世界だ。この世界が最終的にどこに行き着くかまだ知らないが、賭けてみるしかない。
「まるで、どっかの古道具屋か、洞窟の木箱から見つけた宝の地図の切れっ端だね」
「ナゾナゾを解いて、船を造ってくれるかしら」
「楽しみに待ってみよう。ところで何?このペンネーム」
サクヤがにこっと笑った。
「サーリャの1人遊び」
ナゾの論文はけっこう議論を呼んで、ちゃんとそれから60年後にワーム・ホール航法が実用化した。100年後には、銀河系を横切る7つのワーム・ホールに、定期辺境航路のゲートが開設された。
しかし論文の著者、サラ・ソリティアについてはナゾのままだった。
そういう名前のプロジェクト・チームか?秘密結社なのか?そもそも同じ名義で120年に渡って論文をぽつぽつ出し続けている目的は?
ちがう名義のIDを次々に使いながら、写真も残さず流れ歩く生活の中で、ひとつの叛乱だったかもしれない。
俺も親切な人間じゃないから、誰にも教えてやらなかった。サーリャが何者か、その理論の出所はどこか、知っているのは俺とサクヤだけでいい。
俺はそもそも、わざわざ銀河の果てまで同胞の生き残りを探しに行かなくても、と思っていた。
別に2人きりでいいじゃないか。でもサクヤは、避難船で銀河中に散らばったもうない星の子孫がどこかで生きているかも、という希望が捨てきれないらしい。
「ミギワに頼まれたんだもの」と言う。
一緒に地球に飛んだ子供たちを面倒みただけで、ミギワの遺言には十分応えたと俺は思うんだが、まだ納得しないらしい。
俺は確かに、サーリャについては自分から進んで子守を引き受けた。サーリャのために家族も星も捨てた。でも、他のガキどもは知らない。氷河期の地球で、生活力のないガキどもを食べさせていくだけで相当苦労した。そうだ。苦労したのは俺で、サーリャじゃないくせに。自分だけさっさと先に死んでしまったくせに。そんな遠くまで迷子を探しに行って、また俺が面倒みるのか?
「俺が黒髪だったら」と言ってみる。俺がミギワみたいな黒髪だったら、何か変わっていただろうか。サクヤは他の誰かを探そうなんて思わずに、俺と2人でいい、と思うんじゃないだろうか。
サクヤがくすっと笑う。
「エクルー、あなた・・・そういうの157回め」
「数えるなよ」
「何度でも言うわ。私は銀の髪が好き。私がサーリャだった頃、いつもあなたの髪がうらやましくて、せがんで触らせてもらってたじゃない。私、この髪の中には星の光が閉じ込められているって信じてたわ。あなたが飛べるのは、この銀色の翼を持っているからだろうって」
エクルーはちょっと感動して、ぼんやりした口調で言った。
「俺の髪も触っていいよ?」
「そのうちにね」
サクヤが微笑んだ。