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 ドックに下りながらスオミは「直行便じゃなかったの?」と用心深くたずねた。
「直行便だが、ワームホールはこの船じゃ越えられない。でかすぎるし、強度も足りない。だから、ここで2、3人ずつ専用ポッドに乗って、穴の向こうまで転がしてもらうんだ。渡し船みたいなもんだよ。あっという間に銀河の向こう側に行けるぞ」
 2人は自動歩道を、ポッドスターターまで移動した。
「ボールに分乗して、ぽこぽこゲートに放り込むわけだ。俺も、いつもは自分の船でゲートに入るから、ポッドに乗るのは久しぶりだな。また待ち時間だぞ。荷物もこのボールで送るから、向こうで全部そろうのに6時間。そこからまた連絡船に乗って、アペンチュリンに着くのは、明日の朝だ」
 スターターに近づいてポッドが目に入ったところで、スオミがぴたりと足を止めた。
「・・・いや・・・!」顔が真っ白になっている。
「何だって?どうした?」
「イヤ!私、これに乗らない!」
 きびすを返して、走り出した。
「おい!待ってくれ!」
 追いかけたキジローが肩に手をかけた途端、その指先でスオミが消えた。
 キジローは立ち止まって、周囲を見回した。幸い、近くに人はいなかった。駆動設備やエアロックの出入り口もない。カメラで監視されそうな施設のない、ガランとした通路で助かった。多分、誰にも見られなかっただろう。
 後はスオミを見つければいい。でも、どこを?
 どこか、ここなら安心だ、とスオミが思えるような場所だ。キジローは手近なモニターで、ドックの構内図を呼び出した。どこか・・・安心できるところ。静かで・・・明るくて・・・緑と水の匂いがするところだ。

 カフェテリアを囲む植物の植え込みの中にスオミは座っていた。ひざを抱えて、顔をひざに埋めている。まるで、表面積が小さければ小さいほど安全だと思っているみたいに。
 キジローは緑地を横切るクリークをはさんで反対側にそっと座った。
「いいところを見つけたじゃないか。どうせ3時間は順番が回って来ない。ここでのんびりしていよう」
 スオミは顔を上げない。
「おまえ、救命ポッドでペトリに下りたんだってな」
 スオミの肩がぴくっと動いた。
「そのポッドって、あのボールと似てたか?」
 スオミは答えない。
「でもアレは、もうちっとは頑丈だぜ?それに、2人一緒に乗れる。俺も一緒に乗るぞ。ちょっとは心強いだろ?お望みなら、お話してやる。本を読むと酔うヤツもいるからな。特別サービスで歌を歌ってやってもいいぞ」
 スオミが目だけひざから上げた。
「何の歌?」
「何がいい?あんまりレパートリーはないがな。覚えているのは、婆ちゃんの教えてくれた日本語の歌ばかりだ。意味もよくわからないのに、何故か忘れられない」
「今、歌って」
「ええ?そうだな・・・ちょっと待て」
 キジローはしばらく考えるような顔をして、それから低い声で歌い始めた。
 スオミには言葉の意味はわからなかったが、伝えるイメージはわかった。帰りたい場所。帰れない場所。懐かしい人の待っている場所。
「・・・水は清きふるさと」
 今ではスオミは顔を上げて、じっとキジローを見つめていた。
「ふう。自分でも覚えてると思わなかったな」
 キジローは少し照れくさそうに笑うと、スオミはまた目をふせた。
「ごめんなさい。逃げて。怖かったの」
 キジローは腕を伸ばして、スオミの頭にふわっと手をおいた。
「いいさ。誰にでも怖いものはある。でも、今度逃げるときは俺も一緒に連れて行ってくれ。一人だと・・・何かと心細いだろ?」

 スオミの顔がぐしゃっとゆがんだと思うと、泣き出した。
「ダディが私をポッドに突っ込んだの。ダディの首から噴水みたいに血が出てた。肩も腕も血だらけだった。私にもダディの血がついて、ポッドも血だらけになった。ダディは私をシートに固定すると、”すぐ後から行くから”と言っておでこにキスしてくれたの」
 両手をわななく口にあてて震えている。
「ダディは外からポッドをロックして、船の外に放り出した。私はダディのポッドもついて来てると信じてた。だって、ダディは一度もウソをついたことなかったもの。見えないけど、すぐ後ろを漂っているんだって、だから怖くないって自分に言い聞かせてたの」
「どのくらい漂流してたんだ?」
「1週間」
「1週間」キジローはショックを受けた。
「ずっと飲まず食わずでか?」
「水はあった。空気も切れなかった。でも外が見えなくて、一人ぼっちで怖かった」
 キジローは腕を伸ばして、今度はスオミの肩をしっかりつかんだ。
「よくがんばった。えらかったな。自慢できるぞ」
「ヤトやミナトが助けてくれたの。ずっと話しかけてくれて、少しずつポッドをペトリまで運んでくれた。私が怖がらないように歌ってくれて・・・」
「ヤトが?」
「ええ。俺が歌ったことは誰にも言うなよ、と約束させて。でも、あなたも歌ってくれたんだから、話してもいいわよね」
「もちろんだ。そして約束だぞ。俺が歌ったことも誰にも内緒だ」
 スオミは笑顔を作りかけて、そのまままた泣き出した。
「怖かったの。また同じことが起きそうで。外の見えないポッドで、どこへ行くのかもわからない。さっきまでダディが横にいたのに、私は一人になって・・・二度とダディに会えない。一人になるのはいや」
「一人にしない。ずっと一緒だ。今度はたった90分。おやつもジュースも持ち込んでいい。もういっぺん歌ってやってもいいぞ。約束だ」
「本当?約束?」
「約束って、歌を?」
「一人にしない、ずっと一緒って」
「約束だ。俺も閉所恐怖症だから、一人じゃポッドに乗れないんだ」
「わかった。一緒に乗ってあげる」
 涙でぐしゃぐしゃの顔でスオミが笑った。
「ありがとさん」