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 礼拝堂の長いす5つを間にはさんでどなり合いが続いていた。何度やってみても議論が堂々巡りをするので、スオミもいい加減イライラしてきた。
「だから、アルのせいなんかじゃないって、何度言えばわかるんだ!」
「俺のせいじゃないか! ベガ・ステーションもクイーン・マリー号も! あそこで逃げずに残ってたら、フロロイドなんか作られる前にプロジェクトをぶっつぶせたかもしれないのに」
「それって、俺とサクヤに能無しって言ってるのと同じだぞ! 何でも自分一人でしょいこむなよ! 何様のつもりだ!」
「フロロイドができなかったら、エクルーだってこんな……」
「こんなってどんなだよ! 勝手に人を哀れむなよ!俺は満足してるぜ? こうして生きててサクヤといられる。それで十分だ」
「気休めを言ってくれなくていいよ」
 スオミがぷつんと切れた。
「アル、あなた。そんなに1人で何でも責任取りたいのね? 何もかもしょい込みたいのね? じゃあ、中途半端はやめてしっかりしょいなさいよ! いい? 私達は予言を聞いてきたの。もし、あなたがイドラに来なかったらイドリアンは……」
「50年後に人口半減するっていうんだろ。とんだハッタリだ。本当かどうか50年後までわからないわけなんだもんな」
 アルの言葉にスオミもエクルーも毒気を抜かれて口をつぐんだ。背すじを寒気が走る。
「アル……それ、誰から聞いたの?」
「ジンから。イリスとメドゥーラっていう2人の泉守りだかがそう予言したんだってさ。子供だましだよな」
 スオミとエクルーは顔を見合わせた。2人とも顔が蒼白になっている。
「俺たちはサクヤから同じことを聞いた。サクヤはこの8年ジンともメドゥーラともイリスとも通話さえしてない」
 アルも真顔になった。初めて2人の言葉を正面から受けとめた。
「俺たちもサクヤのハッタリだと思ってたんだ」
「つまり……?」
 アルのつぶやきをスオミのタンカが引きとった。
「つまり、アルがイドラに行かないと、防げるはずの厄災が防げないということよ。それでもここでいつまでもメソメソ自分を哀れんでるつもり? みんながやさしく心配してくれるからって、甘えてないでよ!いい大人がいつまでかわいそうな子供のつもりよ! 私にあなたみたいな力があったら……もう絶対に今すぐイドラにかけつけて……みんなを助けるのに」
 スオミの声のボリュームがだんだん落ちて、最後はうつむいてつぶやくように言った。顔をおおった指の間から涙がぼたぼた落ちた。
「私はこの8年……毎日、イドラに帰ることばかり考えてたのに……。イドラが心配でたまらなかったのに……やっとで帰れるのよ? あなたはどうして来たくないのよ。どうしてみんなを助けてくれないのよ」
 スオミは小さな子供のように泣きじゃくっていた。
 エクルーはスオミの泣いているところなど初めて見た。サクヤと2人でペトリに戻り着いた時には、もう星の運命もミヅチの運命も承知して、達感したように静かに微笑んでいたのだ。アルの煮え切らなさにイライラして怒鳴りつけたせいで、タガがはずれたのかもしれない。
「……わかったよ。イドラに行くよ」
 スオミがぐしゃぐしゃの顔を上げてアルを見た。
「だって女の子を泣かせとくわけにいかない。メドゥーラも入れて女性4人に頼まれたら断れない」
 エクルーはため息をついた。
「俺やジンじゃ折れなかったクセに」
「今すぐってわけにはいかないぜ? ここをでるのに手続きとかいろいろあると思う」
 スオミはまだ鼻をすすりながら言った。
「今まで散々、好き勝手に抜け出してたんでしょう? どうして今回だけは正規の手順が要るのよ?」
 アルは両手を天に挙げた。
「わかった。君たちとイドラに行く。だから泣きやんでくれ。”女を泣かさない”という俺のポリシーが破壊する」
「おっと、アル。調子に乗って口説くなよ? 姉さんはペトリの女神なんだからな。イリスにしめられるぞ?」
「口説かない。でもハンカチ貸すぐらいいいだろ? はい。鼻かんでいいよ」
 アルのハンカチを借りて顔をぬぐっているスオミにエクルーがささやいた。
「姉さん。こいつだったら条件オールクリアじゃない?」
「条件?」
「年上。しかも甘えん坊。トラウマつき」
 スオミが真っ赤になった。
「何の陰口だ?」
「別に。これでやっとサクヤのおみやげ渡せるなって」
 エクルーがボストンバックから紙包みを出した。中から凝った編み地のマルーンのセーターが出て来た。身体にあてたアルは感動してつぶやいた。
「もう何年も会ってないのに。肩幅も袖の長さもぴったりだ」
「今さら何言ってるの。あのサクヤだよ?」
「そうか。そうだよな。あれ、お前らのも……」
 エクルーはネイビーブルー、スオミはヒヤシンス・ブルーのセーターを着ていた。
「そう。全部サクヤの手編み。病床で夜なべしたんだから着てやってよ?ちなみにキジローはマスタードを着てる。サクヤはダークグリーンだから、みんなおそろいだ」
「何か、ちょっとヘンな家族みたいだな」
 アルがつぶやいた。
「まあ家族のようなもんじゃない? スオミは俺の姉さんだし、アルは俺とサクヤの子供だし」
 エクルーの言葉にスオミはビックリした。
「アルがサクヤの子供ですって?」
「昔そういう可愛いこと言ってくれた時もあったのさ」
 7歳の少年が25歳の青年にやさしい目を向ける。
「何もかも起こる前の話だ」
「だから、そこまで時間を戻してやり直そう」
 エクルーが右手をさし出した。アルがその手を握り返した。エクルーはスオミの手を取って、アルの手の上に重ねた。スオミはちょっと身体を固くした。
「イドラに行こう、行って何が出来るか見てみよう」


 ジンがアルさえ同意してたらいつでも引き抜くつもりで必要な書類をそろえてシーリアに預けていたので、結局、アルは正規の手続きを踏んで退院することができた。
 シスター・シーリアはアルを抱きしめてぽろぽろ泣いた。
「良かったわ。やっと友人達と一緒に暮らせるのね」
「シーリア。また来ます。ここの連中に会いに来ます」
「いつでも歓迎しますよ。アル。あなたはね、とても愛情の力が強い人なの。愛する対象を深く思いすぎて自分を苦しめることもあったけど、でもきっと、これからはその力を前向きに信じることができるようになりますよ?」
 シーリアは小柄なので、顔がやっと長身のアルの腰に届くくらいだ。ぽってりした桜色の手をアルの両腕にかけた。
「自分が信じられなくなったら、自分が愛しているものを信じなさい。あるいは、自分を愛してくれる人達を信じなさい」
 そう言って、シスター・シーリアはエクルーとスオミの方に目を移した。
「このでっかい甘えん坊をよろしくお願いします。まためそめそしてたら、しかりつけて励ましてやって下さい。もっとも私はしかりながら、いつも先に泣き出してしまうので、アルがなぐさめてくれるんですけどね」
 にっこり聖母のように笑って、おっとりと言った。
「お休みが取れたらあなた方の星に行ってみたいわ」
「ぜひいらして下さい。きれいな星ですから。7月が一番きれいです。花が多くて」
 スオミの言葉にシーリアがまたにっこり笑う。
「あなた方と、あなた方の星に祝福を」
 3人それぞれの手を両手でにぎって、見送った。
「元気でね。ちゃんとやってるか見に行きますからね」
 何度ふり返ってもシーリアはずっと手を振っていたので、エクルーまで目の奥が熱くなった。
「アル、泣いてないか?」
「泣いてない」
 そう答えて、アルは鼻をすすった。
「これからどうするの?」とスオミが聞いた。
「とりあえず、パンパス・ステーションにシャトルで戻る。そこからトゥール・ドーム行きの夜行便。連絡船に乗り換えて、ポッド・スタータークに行く。8年前に姉さんがオプシディアンに来た道を逆にたどるんだ」
「またワーム・ホールを越えるのね」
「うん。8年前にくらべて、いろいろ改良されてるから心配するなってキジローが言ってたよ。それでも姉さんが怖がったら ”ハミング・バード”と呼んでやって歌歌ってたれ、と言われた」
 スオミが赤くなった。
「あの時は子供だったのよ」
「何の歌だって?」とアルが聞いた。
「古い歌だ、”ふるさと”って歌。俺歌えるけど、知らない振りしてキジローにフル・コーラス歌わせた」
「へえ。あのオッサン、けっこうかわいいとこあるんだなあ」
「かわいいよ。ねっ、スオミ」
 エクルーが目くばせすると、スオミがまた赤くなった。
「今度はキジロー父さんがいないけど、俺たち2人で歌ってやるからさ」
「あら。私も歌えるわよ。私が歌ってあげる」
「じゃ混声合唱だ」
「アル、がんばってね。エクルーと歌うと大変よ。ペトリでよく教えてもらったけど、全然主施律とちがう動きを重ねてくるし、しかも毎回ちがうメロディを歌うの」
 アルがため息をついた。
「俺が覚える頃にはクーム・ホール抜けちゃいそうだな」
「だから今から練習すればいいのよ。アルはバス?  バリトンかしら?」
「イドラに何しに行くのか忘れそうだ」
 アルがぼやいた。
「教えないとイドリアンにつきあってもらえないんだからね。歌えなきゃ葬式も結婚式も出せないんだぜ?」
 エクルーが脅す。


 エクルーは修学年齢以下なので、大人2人と一緒のポッドに乗せてもらえた。ポッドの中からずっと歌声が響いていたので、モニターしている管制員は奇妙に思ったにちがいない。

 銀河の中を笑いながら―歌いながら―回りながら――落ちてゆく。
 3人で星空に浮かびながら――還ってゆく……故郷へ。