孵化・不可・負荷
F.D.2541
p 1
9歳でいきなり9年生(高校2年)に編入されたサクヤは、クラスメイトのティーンのお姉さんたちにもみくちゃにされた。
メイリンが所長をしているウイグル・ステーションの研究所で、エクルーが論文を書く間、サクヤにも同年代の友人ができれば、と思って学力試験を受けさせたのだ。結局、サクヤではなく、エクルーと同年代の学友に囲まれることになった。
サクヤはウイグル語もマンダリンも話せないので、連邦標準語で授業が行われる高校の方がいいだろう、ということになったのだ。
クラスメイト達は、お昼に弁当を届けに来たり、夕方迎えに来るサクヤのお兄さんに興味津々だった。会うたびに、サクヤを抱き上げてキスする様子に、みんな見とれてぽーっとなった。エクルーと比べると、クラスの男どもは、全然、ガキ臭く見える。エクルーがひとつしか違わないなんて信じられない。
エクルーは背も高いし、もう4年も連邦政府の研究員としてプロフェッショナルな仕事をしていて、もうすぐ博士号も取得するという。
何とかサクヤをつかまえて、兄でなく婚約者で、しかも二人きりで住んでいる、と聞き出すと、さらに彼女達の興味はヒートアップした。背伸びしたお姉さんたちの無責任なアドバイスにサクヤが翻弄されているので、エクルーもいささか心配になってきたのである。
モニターにスオミが出たので、エクルーはほっとした。スオミとは直接、血のつながりはないが、もうない星でエクルーの叔母だったし、二人ともキジローを養父として育ったので、姉弟のような信頼関係がある。それがうらやましいらしく、夫のアルバートまで、「義弟よ」と混ざりたがるのがやっかいだった。結局、3人とも、キジローに保護者として育ててもらって、今はキジローの孫であるサクヤの後見人になっているわけだ。
「珍しいのね、電話なんて。テントは隣りなんだから、うちに来ればいいのに」
「でも、そうするとアルに邪魔されるだろう?スオミに相談なんだ」
「ところが、俺もいるんだな、残念なことに」と、アルがモニターに顔を出した。
「お前の相談って、どうせサクヤのことだろう?俺も後見人なんだから話せよ、聞いてやるぜ?」
エクルーはよっぽど機会を改めようかと思ったが、こうなったらどうこっそりスオミに話しても、アルが聞き出すに決まっている。同じことだ。
「サクヤがね、クラスのお姉さん達に”婚約者と同じベッドに寝ていて何もないのは、愛されていないからだ”、とか言われたらしくて毎晩迫ってくるんだ」
スオミの後ろでアルが爆笑していたが、予想していたことなので、エクルーは無視した。
「迫り方が的を得ていないんで、助かっているんだけど」
アルがさらに大笑いした。
「あの子、学校に行くの、これが初めてだろう?7,8年生をすっ飛ばしたから、そういう教育を受けていないと思うんだよね」
「そういう教育って?」とスオミが聞いた。
「いわゆる性教育ってやつ。具体的にどういうことかわかってなくて、ただ、お姉さん達に乗せられて、その気になってるだけだと思う」
「大きくなったモノでも見せれば、いっぺんでやる気が失せるさ」とアルが言った。エクルーはぎろっとにらみつけた。
「そんなのダメだ。トラウマになる。あの娘は利口だから、ちゃんと説明すれば納得する。そのレクチャーをスオミに頼みたいんだ。女性だし、医者だし、あの子にとっては叔母なんだから、説得力も信頼感もあるだろ?」
モニターの向こうでスオミがため息をついた。
「わかった。やってみるわ。実はメイリンにも注意されていたの」
メイリンは、研究所に隣接するサクヤたちの高校の校長も兼任しているのだ。サクヤの両親と友人だった縁で、後見人のひとりでもある。
「メイリンが気がついただけでも、3人の男の子がサクヤの周りをうろうろしているんですって。でも、サクヤの方は全然眼中にないものだから、丸っきり無防備に中庭でうたた寝してたり、屋根によじ登ったりするので、ハラハラするらしいの」
「ふーん」
「それが、女の子たちはエクルーをねらっているものだから、男の子たちにいろいろ吹き込んで焚き付けているらしいのよね」
「うーむ」
「明日にでも、教えてみるわ。明日、あの子、休みなんでしょ? 男性方の見学は遠慮してね」
3時ごろ、青い湖沼のイメージが閃いたので、エクルーはラボを抜け出した。自分達のテントに電話してみると、モニターにスオミが出た。
「サクヤがどうかした?」
「さっき、12、3歳向けの教育ムービーを見せたんだけど」
「うん」
「見終わったら、吐いちゃって。そのまま倒れちゃったの。熱が8℃くらいある。今、ベッドで寝かせているわ」
スオミがふっと笑った。
「そんな心細そうな顔をしないで。知恵熱のようなものよ。今夜は私、ここに泊めてもらうわ。あなたは、アルとダブルベッドで寝てちょうだい」
「ありがとう。俺のベッド、今朝、シーツもカバーも変えたところだから」
スオミがまた笑った。
「あなた、その年齢の男の子にしては、気が回りすぎよ。もっと大雑把に考えないと、サクヤがいくつになっても押し倒せないわよ」
「姉さん・・・何だか、アルに似てきたよ」
「ホメ言葉と受け取っておくわ」
翌日の午後、サクヤがラボにぴょこん、と顔をを出した。
「サクヤ!」
思いのほか、大きな声が出てしまって、エクルーは自分の口を押さえた。
「抜けていい?」
「いいよ、ちょうどキリがいい所だ」とアルが言った。「みんな、30分、ティーブレイクだ」
「もう、熱下がった?まだ、今日も試験休みだろ?」
「うん。お昼まで寝てたんだけど・・・」サクヤはちょっともじもじして、エクルーと目を合わさない。
「疲れが出たんだよ。2年生にスキップしてムリしたんだろう?もう少しのんびり進級すればいいのに。お茶飲んだら、また寝てな」
「うん。・・・でも禁断症状が出て」
「? 何の?」
サクヤがぴょん、と跳ねて、エクルーの首に抱きついた。
「エクルーの。・・・はあ・・落ち着いた」ぎゅうっと抱きつきながら、サクヤがため息をついた。
横向きに抱っこしながらエクルーは笑った。
「禁断症状っていうほど、離れていないだろ?」
「だって、昨日の朝から30時間は経ってるわよ」
エクルーは、顔を傾けてサクヤのおでこにくっつけた。
「良かった。スオミのムービーにショックを受けて、しばらく触らせてもらえないかと覚悟してた」
「どうして?」サクヤは心底、不思議そうに聞く。
「どうしてって、一応、俺も男のうちだから」
「ああ。そうか。でも、エクルーは別よ。他の男の人は気持悪いけど」
エクルーは喜んでいいものか、悲しんでいいものか、ちょっと判断に困った。まあ、でもひとまず安心だ。
「おいおい、オジさんのことも気持ち悪いのかい?」
とアルが混ざって来た。
「あら、アルも別よ。アルは口ばっかりで、エクルーよりよっぽどスケベじゃないってスオミが言っていたもの」
とサクヤはエクルーに抱っこされたまま言った。
男2人は、かつてのペトリの女神の容赦ない評価にショックを受けた。
サクヤはエクルーのほおにキスをした。
「今夜は帰ってくるでしょう?」
「うん」
「待ってる」
そう言って、ぽん、と腕から飛び降りると、中庭に駆け出して行った。
「アル?」
「何だ?」
「何だか、あんまり問題が解決した気がしないんだけど」
「お前が、9歳児にほおにキスされたくらいでぼぉっとなってる限り、問題は軽減しないと思うけどな」
「ちぇっ。まあ、いいや。先が長くて楽しみだ」