『真菰(マコモ)刈る』





 




 エクルーは温室のソファでうとうとしていた。一晩中むずかっていたキリカは、リィンのひざでほにゃんと溶けている。向かいのソファではアカネが毛布にくるまって寝ている。この数日でやせた。顔がこけて、目の下に隈ができている。アカネと一緒にいられるのがうれしくて、泊り込み育児支援に頼っていたけど、そろそろ限界かもしれない。

 キジローは、まだとても帰れそうにない。第一……キジローが側にいると、キリカが泣き止まないのだ。キジローの痛みを感じて。キジローの覚悟を感じ取って。もう家族全員ギリギリだった。そんなところに、キジローが倒れて、シュアラに運び込まれたのだ。今は針で痛みを抑えて、やっと少し眠れるようになったらしい。でも、吐き気がひどくて水さえ戻す有様だ。


 あれ以来、キリカのために努めて平静を装っていたけれど、温室の空気はぴりぴりしていた。それが・・・今日は何だかふわん、とゆるんでいる。
 こいつのお陰なんだろうな、悔しいけど。同い年の幼馴染。なのに、こいつにはつくづく適わない、と思う。何というか、包容力、とか健全さ、とか穏やかさ、とか赤ん坊に絶対必要不可欠なのに、俺には備わっていない要素を全て持っているのだ。アヤメ、君の選択は正解だよ。

 リィンは、豆や南瓜をつぶした離乳食をいろいろ持って、陣中見舞いに来てくれたのだ。むずかってミルクさえろくに飲まずに、体重が落ち始めていたキリカが、上機嫌でリィンの差し出すごちそうを平らげた。そしてお腹がぽんぽんになって、幸せそうに寝ている。

「夕方までいるから。今のうちに寝てろ」と言ってくれた。疲れきっていたアカネは、ほとんど気を失うように寝てしまった。エクルーはまだ落ち着かずに、ごそごそしている。
 それでリィンが言い出した。
「おまえ、シュアラに行ってこいよ」
 エクルーはとっさに言葉が出てこなかった。
「ここで、会えずに心配してると、悪い方にばっかり考えてしまうだろ?お前がそんなだから、キリちゃんも食べないんだぞ」
 言い返したかったが、二の句が告げない。
「昨日、うちの母ちゃんと大婆ちゃんが、シュアラに行って、2人に会って来た。キジローは眠れるようになったから、ちょっと顔色が良くなって、持って行った夏瓜をうれしそうに食べたらしい。サクヤも少しほっとしてる」
 エクルーもちょっとほっとした。
「お前、行って来いよ。キリちゃんはうちで預かるから。日帰りだって行って来れるだろう?泉を通れば」
「う……」
「行って来い。行って、甘えて、泣いて来い。平気なフリしたって、キリちゃんにさえバレてるんだからな」
 もう、今泣きそうだ。そんなこと言わないでくれ。張り詰めた糸が切れそうになる。
「アカネと2人で行けよ。そしたら安心するぞ? サクヤも」
 何だかいろいろいっぱいになってしまった。
「明日、うちの裏の双子沢の泉から行けばいいじゃないか。今夜、うちに泊まれ。キリちゃんがうちに馴染んでるとこ見たら、お前も安心して出かけられるだろう?」
 こいつ、本当に18歳? 俺と同い年? 何だか一家の大黒柱って感じ。頼もしいじゃんか。ますます落ち込みそう。
「こんな時に……一人で何でもしょいこもうとするなよ。ちょっとは……頼ってくれよ」
 ああ……ダメだ。惚れそうだぜ、リィン。何ていいヤツなんだ。
 エクルーは、緊張がゆるんでぐっすり眠ってしまった。


 目を覚ますと、もう太陽に西に傾き始めていた。お腹がぐーっと鳴る。アカネがぼーっとした顔で、カボチャ・スープを飲んでいる。髪がぼさぼさだ。
「エクルーもどうぞ?」
 アヤメがスープのカップを差し出してくれる。
「むん、あひはと……」
 寝すぎて舌が回らない。
「これじゃ足りないかもしれないけど、リィンのうちでごちそう用意してくれてるから、我慢してね」
「はひ……」
「それ飲んだら、シャワー浴びて男っぷりを上げてくれ。お前を連れて行くって言ったら、妹たちがぎゃあぎゃあ喜んでいたからな。しかし、何だか母ちゃんが一番喜んでいたぞ?」
「メルはキリちゃんを抱っこしたいのよ」
 アヤメがくすくす笑う。何だか温室全体がこざっぱりと居心地良くなっていた。アヤメがロボット達に指示して、住居ゾーンも植栽ゾーンも手入れしてくれたのだ。
 何だか今朝まで”野戦病院”って感じだったのに、今は ”ホーム”って雰囲気。
「シュアラから帰ってきたら、うちにも泊まりに来て。人手はいっぱいあるから。三つ子も、リィンのうちで慣れてるから、子守りは上手なのよ?」
「うん、そうする。ありがとう」
 今度はうまくしゃべれた。
 何だか悲壮な決意で、つっぱらかって、アカネを巻き込んでしまったけど。今更ながら、俺は一人じゃないんだって思う。
「よおし、よく食べたなー。黄瓜も食べてみるか?美人になるぞー?」
 ほっこり温かくなっていた気持ちが、リィンの膝できゃっきゃと笑うキリカを見た途端、急速に冷えた。くそう、悔しい。
「今からそんな顔をして。キリちゃんにボーイ・フレンドができたらどうするの?」
 耳元でひそっとアヤメが言う。びっくりして振り向くと、にこにこ笑っている。女神のようにやさしく。怖い。こんな女の子をつかまえているなんて、改めて、リィンに対する尊敬の念が湧き上がる。勝てないな、いろいろと。大きなため息がもれる。

「どうしたの?」
 顔をのぞきこんで来たアカネをつかまえて、エクルーがキスをする。
「こらっ、もう」
 くすくす笑っているアカネを見ながら、エクルーは感動した。いきなりキスしても、アカネが逃げない。ひざの上で笑っている。俺ってけっこう幸せものかも。こんな小さなことで、何だかやっていけそうな気になってきた。俺って実は単純なんだな。
「どうしたの?」
「うん? リィンちのごちそう、何かなーって」