酔っ払い万歳




F.D.2526


 夕食の席でキジローが切り出した。
「知り合いの男の子がいるんだ。今、17か18かな。エクルーの親友だった。エクルーの事を話してやりたい。何日か留守にすることになるが、会いに行ってきていいか?」
 スオミがじいっとキジローの顔を見た。
「その人、どこにいるの?」
「ヴァッサー・ガルテンだ」
「ああ」とスオミはため息をついた。
「アルのことね。サクヤが話してくれた。サクヤは泣いて、泣いて…凄くかわいそうだった。アルはサクヤの星の王子様なんですって。会いたいのに、会いに行けない自分を責めていたわ」
「サクヤとエクルーがアルの養育費を送っていた。今、アカデミア・プラトンのドリスが窓口になっているが、もう丸一年以上誰も面会に行ってないから……元気かどうか、ちゃんとなってるか見てきたいんだ」
 スオミが声を上げて笑った。
「父さん、そんな、よそでこしらえた隠し子の話をするみたいに緊張しないで。私もアルが心配だわ。会ってきてあげて」
「できた娘で嬉しいよ、シス」
 キジローも笑った。

「本当は……私も会いに行きたいわ。サクヤは……アルの錯乱は、ペトリに連れてくれば治ると考えていたみたい。でも連れ出すには、アルの力が強過ぎて……もう一度アカデミーにさらわれる危険を冒すわけにいかなかった。機密保持のためだけでも、良くて暗殺よ。でも正気に戻れば、アルは自分で自分を守れる。私、ずっと、アルに何かしてあげられるんじゃないかって考えていたの」
「そうだとしても、今は無理だ」
 キジローが静かに言った。
「今の錯乱状態がいいカムフラージュになってくれてるから、今まで無事だったんだ。そこにお前が会いに行って、正気に戻ったら、アルは三重に危険になる。お前もアルもアカデミーの指名手配のトップ3だからな。3人目がサクヤだ。だからサクヤも会いに行けない。代わりに俺が行ってくる」
 スオミはキジローの手を両手できゅっと握り締めた。
「父さん。辛い役目ね。アルは、ペトリに行くのをそれは楽しみにしてたの。元気になって、サクヤとエクルーと一緒にペトリにドラゴンに会いに行くって。エクルーに私の事を聞いて ”ドラゴンのお姫様” と呼んでくれてたんですって。もうドラゴンはいない。ペトリもない。エクルーも…」
「お前まで泣くな。あるに手紙を書いてやってくれよ。ミヅチがどんなに綺麗な生き物だったのか話してやってくれ。状況が変わったら……きっと会える。お前達、きっと兄弟みたいに仲良くなれるぞ。シスとバドになれる」

 スオミはその晩から、スケッチブックに思い出せる限りペトリの風景や花や生き物、ミヅチたちの姿を描き始めた。どんな小さなスケッチにもスオミの愛情と憧れが溢れていて、キジローは胸がつまってしまった。
 キジローは慎重に準備した。一旦アカデミア・プラトンに飛んで、ニッタ・ジロウとしてヴァッサー・ガルテンに飛ぼう。ドリスにも会っといた方がいいのか? いいんだろうな。でも、キジローは愛情豊かなドリスがちょっと苦手だった。子供の頃のジンを溺愛したらしいが、去年会って以来スオミに夢中で、今はアルに惚れ込んで、過剰な母性本能でアルに近付く全ての危険を蹴り飛ばしている。


 アカデミア・プラトン郊外の邸宅でグラスを傾けながら、ドリスの父のジョンは苦笑して、キジローに耳打ちした。
「ドリスはね、自分の子供より、よその不運な天才少年のために闘ってしまうんだ。自分の子供は自分と同じくらい強くて、ケアが必要ないと考えてしまうらしいね。まあ、アルにとっては幸運なことだ、ドリスを味方につけたのは。あれぐらい有能で、敵に回すと手強い人物はいない。我が子の事ながら、アカデミーが気の毒に思えるよ」
「ええと……ドリスの子供は……」
「幸運なことに全員、道を踏み外すことなく成人した。しかし正直に言って、それはドリスの貢献ではないね。ドリスの夫や兄弟がフォローしたからだ。私も教育者だったから……我が子は放りっぱなしでよその子にばかりかまけてた。ドリスはこういう形で、私に遅い反抗期を示してるのかもしれない、と時々思う。自分の子供を使ってな」
 ジョンはにやりとした。75歳ながら独特のチャームがある。やまわろに似てるな、とキジローは思った。
「君も気を付けた方がいい。孫がかわいい余り、子供への点数が辛くなる。自分だってたいして立派な親でもなかったクセにな」  キジローは薄く笑った。
「俺には子供はいません。だから孫の心配もしなくていい」
 ジョンは温かく笑った。
「油断するな。君はまだ若い。子供なんてどっから湧いて出るぞ」
「そうですね。安心するのはまだ早いかもしれません」
「そうとも。スオミ……おっとフィオナだった。彼女に子供ができれば、見たくない自分を鏡の中に見付ける事になるぞ。赤ちゃん言葉を話して、ぬいぐるみであやしている自分をな」
 二人は声をあげて笑った。
「いい子だ。アルもいい子だ。こんな醜悪な陰謀が早く片付いて、二人とものびのびと暮らせる日がくるといいな。参院にも色々プレッシャーをかけているんだが、一番の被害者について、実態を明らかにできないのが口惜しい。二人が研究材料にされて幸せなわけないからね。それにしても、エクルー……何て犠牲を払ったんだ。死んでいい人間じゃなかった」
「死んでいい人間なんかいませんよ」
「わかってる。わかってるが……サクヤがどんな気持ちでいるかと思うと」
 ジョンは片手で目を覆った。
「でも二人はイドラで、ひとときの間それは幸せそうでしたよ。二匹の小鳥のようにいつもくっついて微笑み合ってた。俺はあの二人を見て、随分幸せな気持ちにさせてもらったもんです」
 ジョンは赤い眼をして顔を上げた。
「そうか。君は……」
「ええ」
「……それは辛い役所だな」
「今はまだ。でもいつか時が来る」
「そうだ。いつか何もかも変わる。スオミもアルもイドラに帰れる。君はサクヤと暮らせる。生まれた子供にエクルーと名付けられる」
「そのつもりです」

「父さんたら。またお客さん相手に酔っ払ってグチこぼしてるんでしょう。放っとくと、一人で一晩中喋るのよ」
 ドリスがジョンの書斎に顔を出した。
「男同士でしんみり語り合ってるんだ。邪魔するな」
「どうせまた私の悪口言ってたんでしょう」
「二人で美人の話をしてたんだ。な?」
「こちらの美人とは別の美人です」
「わかった、サクヤの話ね。うちの家族の男たちは祖父のジャックを筆頭に皆サクヤのファン・クラブなの。サクヤの書いた論文をくまなく集めてるのよ。別の名義のまで。博物館が作れるくらい」
「多分、彼等公認の肖像写真を持っているのは我が家だけだ。全ての資料は厳重なセキュリティで守っている。父の代に会計士が持ち出して、こともあろうにシンポジウムを開こうとしたんだ。『サラ・ソルティアは実在するか』。もちろん、企画は潰した。会計士はクビ。資料は全て取り返した。その企画を任されていたのが、当時理工研にいたムトー・ジンだ」
「ジン!?」
「乗り気じゃなかったが、ミーハーな上司に押し付けられたらしい。サラがサクヤの事だとわかって、直ちに中止してくれた。馬鹿げたでっちあげだと証明できる文書を上につきつけてな」
「でも、その文書の方が…でっちあげだったのよ。本人直筆の」
 ドリスはくすくす笑った。
「本物のでっちあげ証拠。でも、そんな事どうでもいい。あの時会ったサクヤの事が忘れられない。あれ以来、私は二度と会えないんだが」
「避けられているのよ、うっとうしいから」
「初めて会った時、私は15だったんだぞ。夢中にならずにいられるか。なあ、キジロー」
「そうですね」
 キジローは微笑んだ。
「父は二年程闘病して亡くなったんだが、最後の言葉がなんだったと思う」
「さあ。なんですか」
「”さっき、サクヤが来たよ。私に会いに来たんだ”にっこり笑って、そのまま眠るように息を引き取った。母は泣いて怒ったねぇ。ずっと付き添って介護してたのに、最後の最後でサクヤにかっさらわれたんだから」
「でも、本当はエクルーと二人で来たのよ。そう、何度もグラン・マに説明したんだけど。二人はおじいちゃん子の私を支えに来てくれたのよ」
「何故俺には会ってくれなかったんだ」
「ママが焼きもち妬くからに決まってるでしょ」
「むう、そうかなあ。サクヤは本当は私のことを愛してるから会えないんじゃないだろうか」
「パパったら。キジローさん、この幸せな酔っ払いに何か言ってやって下さい」
「サクヤが本当に愛してるのは、エクルーだと思います。俺達2人共、完敗です」
「そうか…そうだな…敗者同士で飲もう」
「飲みましょう」
 キジローはグラスを挙げた。