Song for Sarah


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   具体的にどんなことが起こったのか、サクヤは知らなかった。エクルーはもともと友人が多くて、交友範囲が広かったので、把握しきれていなかった。人込みの苦手なサクヤが、エクルーの友人の輪に参加することはめったになかったからだ。それに何となく、お互いに分業して、別々の方向を探すようにしていた。

 とにかく、その時初めて、エクルーがサクヤを責めたのだ。
 正確にいうと責めたのではない。しかし、サクヤは責任を感じてしまった。

「サクヤと出会わなきゃよかった。ただの子供、成長できる子供なら、バードを救うことができたかもしれないのに」
 絶望に取り付かれてオーバードーズで死んだ歌手の遺体の傍にひざまづいて、エクルーがぽつんと言った。

 八つ当たりと言おうと言えば、そうだ。でも真実だ。サクヤは”星読みの司”として使命があるけれど、エクルーには何の義理も責任もない。普通の男の子として生きて行くことも可能ではないか?
 もうない星を忘れて。サクヤを忘れて。

 
   ・・・*・・・*・・・*・・・*・・・*・・・*・・・*・・・


 見知らぬ部屋で目が覚めた。
 身体がばらばらになったように感じる。骨が痛む。関節がきしむ。寝返りをうつにも激痛が走った。俺は知らない間に事故にでも遭って、大怪我でもしてここに寝ているのだろうか。痛みに耐えてそろそろと首を起こす。とりあえず、身体のどこにも包帯もギプスもない。目に見えるケガはない。ただ、自分の身体にものすごい違和感を感じるだけだ。自分の手足のような気がしない。頭をどさっと枕に戻してため息をつく。
 腕を持ち上げて手を顔の前に持ってくるだけで、肩から背中までギシギシ言う。俺の手ってこんなに大きかっただろうか。手を顔に当ててみる。そろそろとあごや首を触ってみる。どこもかしこも覚えのない輪郭と感触。硬くて筋張っている。
 かなり時間をかけて身体を起こすと、バス・ルームまでよろよろと歩いた。一歩ごとにひざがくだけて、へたり込みそうになる。どうしてこんなに身体が重いんだ?

 バス・ルームの鏡の中に見知らぬ男がいた。銀色の髪が腰までのびている。身体中がべたべたして汗臭い。俺は熱でも出して、寝込んでいたのだろうか。だから身体が痛いのか?
 身体がほぐれるまで長い間シャワーを浴びた。あちこちひっかかってジャマなので、髪を一束にまとめてねじると、長めのポニー・テールにまとめた。ベッドの脇にあったダッフル・バッグを開けると、服が出てきた。サイズはぴったりだが、覚えのない服ばかりだ。
 デニム・ジャケットの内ポケットにパスポートが入っていた。写真は確かにさっき、バス・ルームの鏡で見た顔だった。名義はフィル・ソルタイア。これが俺の名前?18歳?18歳、俺が?
 ホテルのレセプションに聞くと、俺は一人で泊まっていて、連れはいなかったらしい。
「すでに1週間、ご予約いただいています。延泊するときはご連絡ください。当面、空室はありますから」
 周辺地図をもらって歩いてみる。どうやってここに来たか覚えていない。パイクス・プレース・マーケット?どうやらここはシアトルらしいな。風景には覚えがある。でも、その風景の中の自分に記憶がない。
 ふわふわと熱に浮かされるように街をさまよった。言葉がわかる。地理もわかる。でも、ここが自分の場所という感じがしない。スタンドでラージュ・サイズのカフェ・ラテを買ってすする。うまい。この味は覚えがある。好きで何度も買った記憶がある。でもこれを飲んだのは本当に俺だったんだろうか。自分が今までどこで何をしていたのか、記憶がさっぱりない。


「逃げたってどういうことだ!見逃すのか?あきらめてシアトル観光でもして帰るのか?」
「だって仕方ないじゃないか。どこに行ったかわかたないんだから」
「仕方ないって、何だよ、それ!」
 大声でわめいていた男が、つかみかかった仲間に突き飛ばされて俺にぶつかって来た。おかげでカフェ・ラテのカップが地面に落ちてしまった。
「あっ、すまん。じゃなくて、アイム・ソーリー。おい。弁償するって何て言えばいいんだ?」
 男は慌てている。
「別にいいよ。ちょっと大きすぎて、持て余していたんだ」
 俺がそう答えると、もめていた連中の動きが止まった。
「あんた、日本語わかるのか?」
「あ、これ、日本語なのか?」
 通りで妙に新鮮に響くと思った。
「それで英語もわかる?」
 ホテルやコーヒー・スタンドでしゃべったのは英語なんだろうな、多分。
「天の助けだ!俺達、通訳が必要なんだ!」
 記憶がないまま、就職先が決まったらしい。

 彼らは日本のインディーズ・バンドで、そこそこTVにも出始めて、今回のディスクが勝負所らしい。わざわざ張り込んでシアトルのスタジオでレコーディングを決めたのに、アメリカ入りした途端、ヴォーカルとマネージャーがとんずらしてしまった。
「彼女、けっこうカタい家のお嬢さんらしくて、マネージャーとの交際を禁止されてたらしい。もちろん、プロダクションからも認められるはずない」
「どうせ駆け落ちするならレコーディングが終わってからにしてくれりゃいいのに」
「まあ、思い詰めちゃったんだろうねえ」
 ギター、ベース、ドラムの3人が残された。ヴォーカルの女のコがシンセを弾いていたらしい。
「通訳さえいれば、何とかなるのか?ヴォーカルがいなくて曲になるものなの?」
 ベースの男がにっと笑った。
「彼女はまあ、マスコット・ガールだったんだよ。プロダクション会社に籍を置くまでは、俺がメイン・ヴォーカルだったから、元に戻るだけだ。さすがにベース弾きながらシンセは弾けないが、後のせしてもいいし。ただ、言葉だけは何ともならなくてなあ。俺達だけじゃ、レストランでメシの注文もできない」

 それで、毎日ヤツらに付き合ってスタジオ通いをすることになった。ヤツらのバンドは”Asteroid Paradise”というアコースティックな匂いのするポップス・バンドだった。ベースでメイン・ヴォーカルの平太がほとんどの曲を作曲している。ギターの徹とドラムの山さんもコーラスをつける。スカもファンクもブルースも混ざっていて、なかなか飽きない。相変わらず記憶は戻らないが、ヤツらのおかげで退屈しなかった。

 彼らはスタジオ予約を延長して、録音を1週間延期した。1人抜けた分の構成をアレンジし直さなくてはいけなかったからだ。平太がベースを抱えたまま、シンセの前に座っていた。
「やっぱり、ここの動きはハズせないだろう」
「俺は手いっぱいだぜ。えりかが抜けた分、サビのメロディーをフォローしてるんだからな」徹が牽制する。
「メロディーはヴォーカルだけでいいよ」
「そういうわけにいくか。ハッキリ言うが、お前はベースがうまい。作曲もうまい。でも、ピンでシンガーやれるほどは、声にパンチがないんだよ。何でもかんでも、つめこまなくていいだろう。しょうがないじゃないか。多少、曲がうすっぺらになっても。後のせでも何とかなるんだろう?」
 スタジオの雰囲気が重くなった。俺はいたたまれなくなって、「誰かスタジオ・ミュージシャンを借りれば?」と提案してみた。
「そんな金はない。滞在が1週間延びただけでも大打撃なんだ」
 黙ってやり取りを聞いていた山さんが、ドラム・セットの後ろから出てきた。
「スタジオ・ミュージシャンなら、ここにいるじゃないか」
 そう言って、俺の肩をぽんと叩いた。
「俺達が演奏している間、銀ちゃんはヒマだろう?退屈させちゃかわいそうだ。ついでにコーラスにも入ってもらえばいい」
 俺はあっけにとられて、言葉が出てこなかった。



 自分にピアノが弾けるとは思わなかった。でも弾けた。それもかなりうまく。
「えりかよりうまいんじゃないか?第一、声がいいよ。銀ちゃん、今まで何をやってたんだ?どこぞでミリオン・セラー出して、クスリか何かで捕まりそうになって、逃亡中なんじゃないのか?」
 徹がからかう。
 いまだに俺は、どうして自分はピアノが弾けるのか、どうして日本語がしゃべれるのか、説明できなかった。スタジオの録音スタッフと話してみて、フランス語が一番流暢なことがわかった。パスポートの国籍はカナダで、ケベックの住所が書いてあった。しかし、その住所に電話をかけてみても、俺の知らない、俺を知らない人が出ただけだった。電話に出た女性は、最初胡散臭そうに俺の話を聞いていたが、やがて面倒くさそうに電話を切ってしまった。とても、その住所に訪ねていく勇気が出なかった。
「な、銀ちゃん。このまま記憶が戻らなかったら、ずっと俺達といればいいじゃないか。日本に来いよ。俺の部屋に住んでいいぞ」
「平太の6畳一間か。銀ちゃん、ゴミに埋もれるぞ」
 山さんに茶々を入れられたが、俺は平太の申し出が有難かった。パスポートの”フィル”という名前が新しい呼び名の”銀ちゃん”と同じ程度の重みしかない。俺は誰なんだろう。家族はいないのか?ずっとひとりだったんだろうか。