バイバイ、ピーターパン


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 訓練船が横付けされたデッキから、モノレールでヴェガ・ステーション本体に入った途端、足元が大きくゆれて歩けなくなった。
 周囲の人が平静に歩いて、笑いさざめいているから、きっと私だけがゆれているのだ。

 脳裏でスパークする映像。
 ステーションが破壊される。空気が逃げる。開口部から宇宙空間に吸い出されていった人々があっという間にフリーズドライになる。隔壁が間に合わない。気圧が下がって動けなくなる人々。エア・スーツが足りない。

 エクルーが私の肩をゆすぶって何か叫んでいる。私を抱きかかえて、待合いロビーのソファに下ろした。上着を脱いで私の肩にかけてくれる。上着ごと私を抱きしめて、耳元で言った。
「サクヤ、聞こえる? ここで待ってて。ヨットを調達してくる。できるだけ早くこのステーションを出よう。いいね?」
 何とかうなずいた。そのまま頭を下げて、両手で顔を覆う。

 惨事はさらに展開した。子供の泣き声。
 エア・ロックに入った人々が、気密がやぶれる前に、子供に最後のスーツを着せたのだ。子供は半狂乱で、動かなくなった母親に駆け寄ろうとするが大人用のスーツに押し込められて動けない。何とかスーツをむしり取ろうと、手当たり次第にパネルやボタンをたたく。

゛脱いではダメよ!゛

 サクヤの声は届かない。子供の手が移動用のジェットガンを叩いてしまった。
 ものすごい勢いで、スーツがはね上がり、かべに叩きつけられた。
 泣き声はやんだ。子供の細い首は衝撃で折れていた。

゛何故、こんなものばかり見せるの? 見せられても私には何もできない!゛
 サクヤは、両手で頭を抱えて、身体をガタガタ震わせていた。


「お姉さん、大丈夫? 具合悪いの?」
 明るい声がした。
 その声がまっすぐ耳に届いたのに驚いた。そして、恐ろしいイメージが消えて、辺りが明るくなったことに。
 サクヤの前に小さな男のコが立っていた。ほとんど白に近いプラチナ・ブロンド。ところどころ黄色い房がある明るい緑の目。
 サクヤの両手を取って、顔をのぞき込んでいる。
 ……息ができる。辺りが見える。

「俺のレモネードあげる。飲んだら元気になるよ」
   渡されたボトルからひと口飲むと、本当に呼吸がラクになった。男のコがハンカチを差し出した。
「何か悲しいことあったの?」
 サクヤはハンカチを受け取って、そっと自分のほおに当てた。
「ありがとう。もう大丈夫。」声がやっと出た。
 男のコがにこっと笑った。
「お姉さん、何か悲しいことがあるなら、俺がおヨメさんにしてやるよ。そしたら悲しくなくなるよ?」
 サクヤも思わずにっこり笑った。
「ありがとう。本当ね。もう悲しいこと忘れちゃったわ」
「だろ? 俺、得意なんだ。そういうの」
 そう言ってサクヤのほおにキスをした。
「お姉さん、名前教えて?」
「サクヤよ」

 その時、男のコの胸ポケットから口笛の音がした。
「ちぇっ、集合時間だ。行かなきゃ。舎督がうるさいんだ。サクヤ、本当に大丈夫? もう元気になった?」
「ええ。あなたのおかげよ、ありがとう」
 胸ポケットがまた鳴った。
「じゃ、またね、サクヤ。今度、返事を聞かせて」
「返事?」
「プロポーズの返事」
 そう言って少年はゲートの方に走って行った。サクヤはあっ気に取られて、ハンカチもジュースのボトルも返すのを忘れていた。
 ハンカチは、何の飾りもない白の植物繊維だった。ネームタグがあって、青いマーカーで「アル」と書いてあった。


 2人はヨットで衛星エリアルのメイン・ドームに向かった。
「そのアルが、あのアルだと思う?」とエクルーが聞いた。
「多分ね。そう思う」
「またねって言ったのか。また会うと思う?」
「思うわ。それも、すぐに」
「ふーん、どんな子だった?」
 サクヤはしばらく考えていた。
「そうね。明るくて……やさしくて……あなたと似ていた、何となく」
「ふーん。そりゃ、すごい賛辞だね。プロポーズにどう返事するつもり?」
「悪いけど、フィアンセがいるのって答えるわ。エクルー、フィアンセらしくふるまってね?」
「俺?」
「そう。子供の夢を壊さないようにね」
「うーむ」


 ドームのはずれの余り混み合ってない所にペンションを借りた。
 部屋に入ると、長旅とステーションでのパニックの疲れで、サクヤは気絶するように眠ってしまった。エクルーはシャワーを浴びて着替えると、食料を買いに出かけた。
 息苦しい浅い眠りの中で標っていたサクヤは、急に身体が温かくなって呼吸が楽になるのを感じだ。疲れが取れている。

 サクヤが目を開けると、目の前に昼間会った男の子の顔があった。
「アル!」
「心配で見に来たんだ」
「あなたの方が顔が青いわ。すわって」
 サクヤは身体を起こして、アルをベッドにすわらせた。
「大丈夫。ちょっと休めばすぐ元に戻る」
「ありがとう。私にエネルギーを分けてくれたのね?」
「驚かないね」
「ええ。何か温かい飲み物を作るわ。ココアでいい?」
「コーヒーがいい」
「コーヒーは、顔色が戻ってから。私も今は飲めないわ」
「じゃ、ココアでいい」
 お湯でココアをねりながら、サクヤが聞いた。
「どこから飛んで来たの?」
「俺の寮がこのドームの中にある。北西に35キロぐらいかな?」
「学校にあなたみたいな子、他にいる?」
「いやいない。だから学校では内緒にしてる」
「ふうん、大変ね。はい、ミルクココア」
 カップを渡して、自分もとなりにすわった。
「俺みたいな子に慣れてるんだね」
「ええ。私も似たようなものだし、そういう人をいろいろ知ってるから」
「ホント?」
「ホント。今、買い物に行ってるコもあなたみたいに飛ぶのよ?」
「へえ……」
「あ、これ、ありがとう。ハンカチ。また会えるなら洗って、アイロンあてて返すわ」
「ううん。今返して」
「でも濡れてるわよ?」
 アルはハンカチにキスした。
「サクヤの涙だろ? 洗うのもったいない。ココア、ごちそう様。もう戻らなきゃ。後でその”飛ぶヤツ”に会いに来るよ」
 そう言って、シュッと消えた。
 サクヤは少し赤くなって、ほおに手を当てるとため息をついた。
「性格までエクルーに似てるみたい」